東西冷戦→湾岸戦争(1991)→アメリカ同時多発テロ(2001)→イラク戦争(2003)

中学受験の社会では「世界史」は範囲ではないですが、難関校を中心に、

シレっと【それ世界史やん!】という問題が出題されています。

また、時事問題等は「世界史」を知らないとよく分からない事も多数あります。

ということで、この記事では、

【東西冷戦→湾岸戦争(1991)→アメリカ同時多発テロ(2001)→イラク戦争(2003)】

をつなげる話をします。基礎知識がないと意味不明になるかもしれませんが・・・。

「中東」の基本がまだの場合は先に下の記事をどうぞ。

 

東西冷戦→湾岸戦争(1991)→アメリカ同時多発テロ(2001)→イラク戦争(2003)

結論:中東の混乱、原因はアメリカとソ連の大国やん!冷戦の後始末やん!

「戦後」の世界は米ソの「東西冷戦」の時代でした。

資本主義の「西側」(米、日、英、仏等)vs社会主義の「東側」(ソ連、中国、東欧諸国等)

の構図です。

【冷戦:WW2末期~1989年末のマルタ会談までの米ソの対立時代】

 

基本年表

1978年 ソ連のアフガニスタン侵攻(アフガン紛争1978年~89年)

1989年 冷戦終結(マルタ会談)

(冷戦後アフガニスタンは内戦状態)

1991年 ソ連崩壊

     湾岸戦争(多国籍軍vsイラクのフセイン政権):パパ・ブッシュ

    →ビンラディンがサウジ追放(アフガンに行き、アル=カイーダを組織)

1996年 (アフガンに)タリバン政権(ビン・ラディンももちろんいる)

2001年9月11日 アメリカで同時多発テロ→米がアフガニスタン攻撃

2003年:イラク戦争(子・ブッシュvsフセイン政権)→フセイン死刑

    イラクは内戦状態に→イスラム国(IS)の台頭

【東西冷戦→湾岸戦争(1991)→アメリカ同時多発テロ(2001)→イラク戦争(2003)】

 

東西冷戦:アフガニスタン紛争(1978年~89年)

冷戦時代の1978年に、ソ連が緩衝地である(自分の国の南側にある)アフガニスタンに侵攻

しました。理由は色々あります。宗教を否定する共産主義国家のソ連が、イスラム教徒が支配する、

中東地域に攻め込んだという事実がポイントです。

非公開: 東西冷戦→湾岸戦争(1991)→アメリカ同時多発テロ(2001)→イラク戦争(2003)

ソ連のアフガン紛争(1978年~89年)は泥沼化します。

ソ連と敵対しているアメリカが、ソ連を困らせるために、パキスタン経由で

アフガニスタンの反ソ連勢力を支援しました。その、ソ連と戦うアフガニスタンの

イスラム戦士の中に、サウジアラビアの富豪であるビン・ラディンがいました

結果として、アフガニスタン紛争(1978年~89年)はソ連崩壊(1991年)の引き金

となりました。

アフガニスタン内戦→タリバン政権

冷戦終結(1989年)後、アメリカはアフガニスタンを放置したので、内戦状態になりました。

そこに目をつけたのが核保有国でもあるパキスタンです。インド(ヒンズー教)と仲が悪い

パキスタン(イスラム教)が、アフガニスタンにイスラム過激派の学生達(タリバン)を

送り込みました。

その結果、1996年にアフガニスタンにイスラム過激派のタリバン政権が誕生します。

 

湾岸戦争(1991):イラクのフセインがクウェートに侵攻→多国籍軍vsフセイン

冷戦が終結した時、動き出したのが、「中東の狂犬」と呼ばれた、

イラクのサダム・フセイン大統領です。

サッダーム・フセイン - Wikipedia

ペルシャ湾の石油が欲しかったフセインは、クウェートに侵攻します(1990年)。

国連の安保理決議に基づいて、多国籍軍(米・英・仏・アラブ諸国)が組織され、

イラクとの間で戦争が始まりました(湾岸戦争・1991年)

この湾岸戦争の際に、イラクの南側にある「中東の盟主」サウジアラビアが、

「アメリカはん、たすけてくれまへんか?」と言ってきたので、イスラム教徒を

刺激しないように、アメリカのジョージ・ブッシュ(父)大統領は、アラブ諸国も入れた

「多国籍軍」を組織してイラクを倒しました。

右・ジョージ・ブッシュ(父)大統領。左・ジョージ・ブッシュJr(子)

ただし、フセインを殺すとイラクが内戦状態になると思ったので、フセインは

湾岸戦争の際には生き残っています。

さて、それをみていたのが、ソ連と戦うアフガニスタンのイスラム戦士の中にいた、

サウジアラビアの富豪であるビン・ラディンです。

Amazon.co.jp: ビンラディン―アメリカに宣戦布告した男: ヨセフ ボダンスキー, Bodansky,Yossef, 主税, 鈴木: 本

ビン・ラディンは、「キリスト教徒であるアメリカ人をイスラム教徒の聖地である

メッカに置くなんてのは許せない!」とサウジアラビアの王族に訴えます。

その結果、ビン・ラディンはサウジアラビアを追放されます。

湾岸戦争(1991年)の裏で、サウジアラビアを追放された過激派イスラム教徒の

ビン・ラディンはアメリカへの恨みを募らせ、以前のコネがある、アフガニスタンの

タリバン政権を頼ります。ビン・ラディンは過激派イスラム教徒をまとめ、「アル=カイーダ」

という組織を作ります。

 

アメリカ同時多発テロ(2001年9月11日)

アフガニスタンのタリバン政権のスポンサーとなったビン・ラディンが計画した

のが、2001年9月11日に起きた「アメリカ同時多発テロ事件」です。

ニューヨークの世界貿易センタービルをはじめとする、アメリカの4箇所に、飛行機

で同時に突っ込むというテロ事件でした。

9.11米同時多発テロ 写真特集:時事ドットコム

時のアメリカ大統領はジョージ・ブッシュJr(子)。

右・ジョージ・ブッシュ(父)大統領。左・ジョージ・ブッシュJr(子)

ぶちぎれた、ブッシュJr(子)大統領は、アフガニスタンを攻撃します。

アフガニスタンのタリバン政権を崩壊させた(ビン・ラディンは逃げ、「アル=カイーダ」

はちりじりになります)ブッシュJr(子)は、次の標的を湾岸戦争(1991)で生き残って

いたイラクのサダム・フセイン大統領に定めます。

 

イラク戦争(2003):ブッシュJr(子)vsフセイン政権

ブッシュJr(子)は、イラクが大量破壊兵器を所持しているとして(実際は

どうだったか分かりません)、(日本を含む44カ国が攻撃を支持する中)米英軍

がイラクを攻撃しました(イラク戦争・2003年)。

フセイン政権は崩壊し、フセインは死刑になりました。

 

イラク内戦→イスラム国(IS)

イラクはその後、内戦状態が続き、いまだにグチャグチャの状態です。

そのグチャグチャの中から、イラクの過激派イスラム教徒(主にスンナ派)と

アフガニスタンからちりじりになっていた「アル=カイーダ」が手を結んでで

きたのが「イスラム国(IS)」です。

 

1978年 ソ連のアフガニスタン侵攻(アフガン紛争1978年~89年)

1989年 冷戦終結(マルタ会談)

(冷戦後アフガニスタンは内戦状態)

1991年 ソ連崩壊

     湾岸戦争(多国籍軍vsイラクのフセイン政権):パパ・ブッシュ

    →ビンラディンがサウジ追放(アフガンに行き、アル=カイーダを組織)

1996年 (アフガンに)タリバン政権(ビン・ラディンももちろんいる)

2001年9月11日 アメリカで同時多発テロ→米がアフガニスタン攻撃

2003年:イラク戦争(子・ブッシュvsフセイン政権)→フセイン死刑

    イラクは内戦状態に→イスラム国(IS)の台頭

【東西冷戦→湾岸戦争(1991)→アメリカ同時多発テロ(2001)→イラク戦争(2003)】