平安時代のまとめ(前半・9~10世紀)・日本史8・音声動画付き!―「中学受験+塾なし」の勉強法!

平安時代(794~1185)は長いので二回に分けます。

●前半は平安京遷都(794年)~藤原道長が摂政(1016年)になるまで

●(奈良時代の反動で)桓武天皇は仏教を抑えようとした→最澄・空海

●(権力の所在)藤原氏(良房)→菅原道真→藤原道長:「摂関政治」(摂政と関白)

平安時代の前半(9世紀~10世紀)の基本年表

((784年)長岡京11遷都(現在の京都))

794年 平安京遷都(山背国(やましろのくに)11・現在の京都)・桓武天皇

801年 征夷大将軍・坂上田村麻呂が東北の蝦夷(えみし)平定(胆沢城・いさわじょう

806年頃最澄と空海が新仏教を広める(弘仁貞観文化・こうにんじょうがんぶんか)

842年 承和の変→藤原氏の勢力拡大

866年 応天門の変→藤原良房が正式に摂政に(「摂関政治」へ)

894年 遣唐使廃止・菅原道真→10世紀には唐・新羅・渤海が滅ぶ

901年 菅原道真が大宰府に流される

939年 承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)

    平将門の乱(939~940)と藤原純友の乱(939~941)→「侍」→「源平」が進出

1016年 藤原道長が摂政になる→摂関政治の最盛期

 

平安時代前半(9世紀~10世紀)の中学受験用のポイント

1  平安遷都(794年):長岡京784年→平安京794年

2 蝦夷(えみし・えぞ)・坂上田村麻呂(征夷大将軍)⇒東北支配

3 弘仁貞観文化11(こうにんじょうがん):9世紀(801~900)の文化:最澄と空海

4 摂関政治:9世紀はじめに藤原氏が台頭→菅原道真(9世紀末)→11世紀藤原道長

5 「侍」(貴族の荘園の護衛)の台頭→平将門の乱(939年):承平天慶の乱

 

1  平安遷都(794年):長岡京784年→平安京794年

・784年に長岡京11を造営(藤原種継(たねつぐ)8が暗殺され頓挫)

桓武天皇(かんむ・在位781~806)11:平安遷都+東北(蝦夷征伐)+新しい仏教

・794年京都の山背国(やましろのくに)11に遷都→平安京

「桓武天皇」の画像検索結果"「京都 碁盤の目」の画像検索結果

2 蝦夷(えみし・えぞ)・坂上田村麻呂(征夷大将軍)⇒東北支配

蝦夷(えみし・えぞ)11=東北+北海道でヤマト朝廷に反抗する人たち

・征夷(せいい)→「夷(蝦夷=野蛮人)」を「征」服する

・802年坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)11が蝦夷の族長の阿弖流為(アテルイ)を降伏させる

胆沢城(いさわじょう・802年)11を築く(現・岩手県奥州市) 

「阿弖流為」の画像検索結果"「坂上田村麻呂」の画像検索結果"

阿弖流為(アテルイ)(左)と坂上田村麻呂(征夷大将軍)

中央政権の東北経営

3 弘仁貞観文化11(こうにんじょうがん):9世紀(801~900)の文化

奈良時代の仏教があまりにも国家に入りすぎたので、桓武天皇(在位781~806)は

「修行」中心の新仏教を奨励して最澄11(天台宗)を庇護。空海11(真言宗)も

嵯峨天皇に守られる(密教)。最澄は南都仏教(奈良)とは対立(空海はむしろ友好的)。

【最澄と空海】(ともに遣唐使)語呂合わせ「平安仏教は天才の真空パック」

「空海 最澄」の画像検索結果"

最澄11(伝教大師 でんぎょうだいし)767~822

 近江生まれ。天台宗11(顕教(けんぎょう)11)、(比叡山)延暦寺11(滋賀県・世界文化遺産)

語呂合わせ「てんさい(天台宗+最澄)でんさい(伝教大師+最澄)ひさい(比叡山延暦寺+最澄)

「比叡山延暦寺根本中堂」の画像検索結果

比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)根本中堂https://mainichi.jp/articles/20160303/ddl/k25/040/491000c

空海(弘法大師 こうぼうだいし)774~835 「弘法も筆の誤り

 讃岐生まれ。真言宗11((真言)密教11)、(高野山)金剛峰寺11(こんごうぶじ・和歌山)

語呂合わせ「しんくう(真言宗+空海)くうこう(空海+弘法大師)

「高野山金剛峯寺」の画像検索結果"

高野山金剛峯寺(世界文化遺産)和歌山県

4 摂関政治:9世紀藤原氏が台頭→菅原道真(9世紀末)→11世紀藤原道長

・「摂関政治」→側近である摂政と関白が政治を支配。藤原氏支配。

・藤原冬嗣→藤原良房(摂政)→藤原基経(関白)

1)桓武天皇11(在位781~806)嵯峨天皇11(在位809~823)の後、藤原氏(北家)が台頭

2)藤原冬嗣(ふゆつぐ)11(775~826)藤原良房11(よしふさ/804~872)→外戚11・外祖父11に

3)承和の変11(じょうわのへん/842)でライバル倒す(橘逸勢 たちばなのはやなりと伴健岑とものこわみね)

4)応天門の変11(866年)伴善男(とものよしお・大納言)による放火事件 

5)藤原良房が清和天皇11(9歳で即位)の摂政11になる

6)884年~887年頃・藤原基経(もとつね・836~891)光孝天皇11(こうこう)関白11になる

「摂関政治」が始まる(9世紀後半)

(「摂政」「関白」は江戸幕府末(幕末)の1867年まで続く役職)

が、藤原基経が死ぬと、宇多天皇9(うだ・在位887~897)は藤原氏(側近・摂関)

の力を抑えようとして、摂政・関白を置かずに、親政(天皇が自分で政治をする)を

実施。宇多天皇に重用されたのが、菅原道真11(845~903・すがわらのみちざね)

7)菅原道真11(845~903)

「菅原道真」の画像検索結果"

学問の神様(学者)・遣唐使の廃止(894年)11を行う(唐が衰退していた)。

【遣唐使廃止の語呂合わせ:はくし(894)に戻そう遣唐使

宇多天皇(在位887~897)に重用され、醍醐天皇(だいご・在位897~930)11

の時代には右大臣に。ただし、藤原氏の巻き返しに遭い、藤原時平(基経の子で左大臣)10

の陰謀で大宰府(福岡県太宰府市)に流される。

死後、怨霊になったとされる。

*当時は「大宰府」、現在は「太宰府市and太宰府天満宮」(「大」と「太」の違い)

太宰府天満宮(福岡県太宰府市):菅原道真(みちざね。845-903、学問の神様)を祀る。

「太宰府天満宮」の画像検索結果

北野天満宮(京都市):ここも菅原道真を祀っている。学問の神様。

その後、1000年頃、藤原道長の時代に摂関政治は最盛期を迎える。

(詳細は「平安時代の後半」で)

 

5 承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん):平将門の乱と藤原純友の乱の事

「侍」(貴族の荘園の護衛)の台頭→平将門の乱(939~940)と藤原純友の乱(939~941)

「侍」の誕生経緯:貴族の荘園の護衛が起源

701年大宝律令で口分田(6歳以上の男女):農民には負担

      ↓

723年三世一身法:開墾したら3世代の土地私有が可能に:うまくいかず

      ↓

743年墾田永年私財法11:墾田の永久私有を認めた:うまくいかず

      ↓

有力者(主に貴族)が私有地広げる

      ↓

初期荘園10の誕生(8~9世紀)

      ↓

荘園を守るガードマンとして「侍」が発生:その後「侍」(さぶらひ)9が

武装化し、国(ヤマト朝廷・平安朝)に反旗を翻す。

「承平天慶の乱」の画像検索結果

関東地方に台頭した「侍」的な有力者が平将門(たいらのまさかど)11。

瀬戸内海(伊予)で海賊的に活動したのが、藤原純友(ふじわらのすみとも)11。

「平将門」の画像検索結果

平将門11(たいらのまさかど)?~940

関東一帯を支配(常陸、下野(しもつけ)、上野(こうずけ))。

新皇(しんのう)10と称して、ヤマト朝廷(平安京)に反抗して、

平将門の乱10(939~940)を起こすが、平貞盛(さだもり)11と藤原秀郷

(ひでさと)10に平定される。

場所・「関東」と、称号・「新皇」と平定した二人(平貞盛と藤原秀郷)がポイント

 

藤原純友11(?~941):国司が土着化。瀬戸内海(伊予の日振島)を拠点に海賊活動。大宰府焼き討ち。

藤原純友の乱9(939~941)を起こすが、源経基(みなもとのつねもと・清和源氏11の租10に平定される。

場所・「瀬戸内海・伊予」と平定した人(源経基)がポイント

「承平天慶の乱」の画像検索結果

清和源氏(せいわげんじ)11は清和天皇の孫・源経基が臣籍降下し「源」姓を名乗ったのが起源。

武家の棟梁となり、後に新田、足利などに別れる。武田信玄も清和源氏の子孫。

承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)の後、諸国の反乱を平定するために

押領使(おうりょうし)10」「追捕使(ついぶし)10」という官職が置かれる

 

承平天慶の乱11(じょうへいてんぎょうのらん)939~941は地方武士による初めての

国家に対する反乱で、政府が鎮めたものの、「平将門の乱」は貞盛(さだもり)11、

「藤原純友の乱」は経基(みなもとのつねもと)と、どちらも武士に頼って解決

したので、結果として「源氏と平氏」の台頭を許し、平安時代の終わりである

「源平合戦」への序章となっていく事をまだ誰も知らなかったのである・・・。

 

まとめ―平安時代・前半

●前半は平安京遷都(794年)~藤原道長が摂政(1016年)になる前まで

●(奈良時代の反動で)桓武天皇は仏教を抑えようとした→最澄・空海

●(権力の所在)藤原氏(良房)→菅原道真→藤原道長:「摂関政治」(摂政と関白)

平安時代の前半(9世紀~10世紀)の基本年表

((784年)長岡京11遷都(現在の京都))

794年 平安京遷都(山背国(やましろのくに)11・現在の京都)・桓武天皇

801年 征夷大将軍・坂上田村麻呂が東北の蝦夷(えみし)平定(胆沢城・いさわじょう

806年頃最澄と空海が新仏教を広める(弘仁貞観文化・こうにんじょうがんぶんか)

842年 承和の変→藤原氏の勢力拡大

866年 応天門の変→藤原良房が正式に摂政に(「摂関政治」へ)

894年 遣唐使廃止・菅原道真→10世紀には唐・新羅・渤海が滅ぶ

901年 菅原道真が太宰府に流される

939年 承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)

    平将門の乱(939~940)と藤原純友の乱(939~941)→「侍」→「源平」が進出

1016年 藤原道長が折衝になる→摂関政治の最盛期

 

平安時代前半(9世紀~10世紀)の中学受験用のポイント

1  平安遷都(794年):長岡京784年→平安京794年

2 蝦夷(えみし・えぞ)・坂上田村麻呂(征夷大将軍)⇒東北支配

3 弘仁貞観文化11(こうにんじょうがん):9世紀(801~900)の文化:最澄と空海

4 摂関政治:9世紀はじめに藤原氏が台頭→菅原道真(9世紀末)→11世紀藤原道長

5 「侍」(貴族の荘園の護衛)の台頭→平将門の乱(939年):承平天慶の乱

 

 

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