一番最初は、
だけを何度も読んで、基本的な流れがある程度「長期記憶」に
なったら細部に入っていくのがいいと思います。
戦国時代(1467年~1573年)の概略
時は戦国。
応仁の乱(1467年~77年)の頃から、室町幕府(足利将軍家)は
衰退し、各地で実力者がのし上がる「下克上」の時代がやってくる。
応仁の乱から織田信長が室町幕府を滅ぼす1573年までの約1世紀を
戦国時代とこのブログではしておきます(諸説あり)。
戦国時代(16世紀頃)になると、日本国内+朝鮮・中国だけでなく、
ヨーロッパとも関係が始まる(鉄砲伝来1543年・キリスト教1549年)。
それらの新しい知見を最大限活かして、日本に「近世」から一気に「近代」を
もたらすかに見えたのが、そう、あの大魔王・織田信長(1534~1582)。
各地の一揆(浄土真宗の中の一向宗)を叩き潰し、飛鳥・平安時代以来の仏教(天台宗)・
鎮護国家の根本寺院・比叡山延暦寺を焼き討ちし、出てきつつあった商人の自治都市・
堺を丸呑みし、室町幕府を潰し(1573年)、各地の戦国大名と戦い続けた
魔王のような信長も、全国統一まであと一歩という所で部下の明智光秀
に謀反され自害!(1582年・本能寺の変)(1582の語呂合わせ:イチゴパンツ)
織田信長の部下で、農民の出自の豊臣秀吉が後を継ぎ、全国統一をなし
とげる(1590年)。
(1598年秀吉死去→1600年関ヶ原の戦い→1603年江戸幕府)
戦国時代(1467年~1573年)の基本年表
(1467年~77年 応仁の乱)
(1489年 足利義政が東山に山荘・銀閣寺(慈照寺)を建てる)
1495年 北条早雲が小田原城に入る
1543年 ポルトガル人が鉄砲を伝える(種子島)【いいごよさんの鉄砲伝来】
1549年 キリスト教伝わる(ザビエル)【語呂合わせ:いごよく伝わるキリスト教】
1560年 桶狭間の戦い(織田信長vs今川義元):信長が歴史の表舞台に!
1573年 室町幕府が滅びる(15代・足利義昭が信長にほっぽり出される)
1575年 長篠の戦い:信長が武田勝頼をやぶる(甲斐の武田家滅亡)
1582年 天正遣欧使節がヨーロッパに行く
1582年 織田信長が明智光秀に京都の本能寺で討たれる(本能寺の変)
1590年 豊臣秀吉が全国統一
(1598年秀吉死去→1600年関ヶ原の戦い→1603年江戸幕府)
鉄砲(1543年)とキリスト教(1549年)の伝来
15世紀~17世紀前半は「大航海時代」
「大航海時代」は、ポルトガルとスペイン(イスパニア)
が世界にでていった時代(地中海→大西洋→世界)。どちらも
旧教(カトリック)国で布教もセットで世界進出。
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南アフリカ南端の喜望峰:バルトロメウ・ディアス(ポルトガル)
アメリカ大陸到達(1492年):コロンブス(スペイン)
インド洋:バスコ・ダ・ガマ(ポルトガル)。喜望峰経由でインドに
世界一周:マゼラン(ポルトガル)

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南蛮人(なんばんじん):スペイン、ポルトガル(とイタリア)の南欧系外国人。北欧系は紅毛人。
南蛮貿易:(主に)ポルトガルとの貿易。鹿児島、平戸、後に長崎が中心
生糸、鉄砲、火薬、絹などを輸入。輸出は銀、刀剣、漆器など。
平戸:肥前藩(現・長崎)。南蛮船来航で繁栄。1641年出島にオランダ商館移転して繁栄終了。
16世紀(1501年~1599年)半ばには、ヨーロッパからアジアにキリスト教
宣教師がやってきた。(カトリック)のスペインとポルトガルが先に来た。
ポルトガルは(インドの)ゴア(1510年)と(中国の)マカオを拠点に
アジア、日本と交易をした→1543年種子島に鉄砲を伝える。
スペインは、(フィリピンの)マニラ(1571年)を拠点に東アジアと交易。
1543年鉄砲伝来:種子島(種子島時堯ときたか)+ポルトガル人が漂着
1549年キリスト教伝来:宣教師フランシスコ・ザビエル(スペイン人+イエズス会)、鹿児島
【語呂合わせ:1549いごよく広まるキリスト教】
●フランシスコ・ザビエル(1506~52):スペイン人のイエズス会の宣教師。1549年鹿児島に来て
布教。京都、山口、平戸と各地にキリスト教(カトリック)を伝える。1552年中国の広州で死去。
●イエズス会:1540年創立。反宗教改革のカトリック系修道会。スペインが拠点。イグナティウス・ロヨラ
●宣教師:外国で伝道するキリスト教の牧師や司祭、神父。伴天連(バテレン)2。
●キリシタン:キリスト教とキリスト教徒の事。ポルトガル語。
その後、ルイス・フロイス(ポルトガル人)やヴァリニャーニ(イタリア人)などの
イエズス会系宣教師がやってきてキリスト教(カトリック)を布教したので、九州、近畿
などに多くのキリシタン大名が生まれる。
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【キリシタン大名】
・大村純忠:日本初のキリシタン大名。肥前(長崎・佐賀)大村の大名。天正遣欧使節。
・大友義鎮(よししげ/宗麟そうりん):豊後(現・大分)の大名。ザビエルを招く。天正遣欧使節
・有馬晴信:肥前(長崎・佐賀)有馬の大名。天正遣欧使節
【天正遣欧使節】(1582年出発→1590年帰国)

イエズス会の宣教師ヴァリニャーニ(イタリア人)が勧めて、九州のキリシタン大名、
大村純忠・大友義鎮(よししげ/宗麟そうりん)・有馬晴信がローマ教皇に送った
少年使節。伊東マンショと千々石ミゲルが正史。中浦ジュリアン、原マルチノが
副使。伊東マンショは帰国後、豊臣秀吉に面会。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●南蛮文化:セミナリオ(イエズス会の宗教施設)/コレジオ(大学)
南蛮寺(なんばんじ)(キリスト教の教会堂)
(カッパ、ボタン、パン、テンプラ、カボチャ、タバコ、カステラ)

(時代は少し戻って)
戦国大名の登場
【戦国大名で必須の人物6人:レベルA 絶対!】
1 今川義元(1519~60):静岡県(駿河・遠江(とおとうみ)・三河)。桶狭間。海道一の弓取り。
2 武田信玄(晴信・1521~73):山梨県(甲斐)。戦国の巨獣。
3 上杉謙信(長男景虎・かげとら)1530~78:越後(現・新潟)。川中島の戦い。
4 織田信長(1534~82):尾張(現・愛知)。岐阜。安土城。天下布武。
5 豊臣秀吉(1537~98):尾張中村の農民の出。全国統一。朝鮮出兵。信長の家臣
6 徳川家康(1542~1616):人質生活→5大老→江戸幕府初代将軍。大御所。東照大権現。


上が1560年頃(桶狭間の戦いの前)・下が1570年頃
●1495年 北条早雲が小田原城に入る
●1560年 桶狭間の戦い(織田信長vs今川義元):信長が歴史の表舞台に!
●1575年 長篠の戦い:信長が武田勝頼をやぶる(甲斐の武田家滅亡)
●1582年 織田信長が明智光秀に京都の本能寺で討たれる(本能寺の変)
●1590年 豊臣秀吉が全国統一
戦国大名の分国支配
戦国大名は、守護大名と異なり、守護→戦国大名の人は多くない(武田、今川、島津、
大友くらい)。逆に、守護の代官で、地元を任された守護代が下克上で戦国大名に
なった例が多い(織田氏、朝倉氏など)。
●分国(領国):戦国大名の支配する領域。
●分国法・家法(戦国大名が統治のために制定した法律)で家臣団を統治。
・『塵芥集』(じんかいしゅう):最大の分国法。陸奥の伊達稙宗(たねむね)。
・朝倉孝景条々(あさくらたかかげじょうじょう):越前の朝倉氏の家法
・甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい):武田信玄が制定した法律。喧嘩両成敗。「信玄家法」。
・今川仮名目録:今川氏の分国法。今川氏親と今川義元。訴訟や喧嘩両成敗など。
●指出検地(さしだしけんち):戦国時代の土地調査
●寄親・寄子(よりおや・よりこ):家臣団を支配する方法。寄親=有力家臣。寄子=下っ端
●足軽:下っ端の兵隊。馬に乗らず徒歩。信長の足軽鉄砲隊は革命的。
●貫高制(かんだかせい):年貢収入を銭何貫として表す。関東地方に普及。
戦国時代の「城下町」と「港町」
●町衆:応仁の乱(1467~77)後、京都で形成された自治的組織の長。町衆文化。
●城下町:戦国大名が家臣や商工業者を計画的に住まわせた。
―一条谷:越前の朝倉氏。現・福井市
―小田原:北条氏の城下町
―駿河(府中):今川氏の城下町。後の駿府(すんぷ)。現・静岡。
―山口:周防の大内氏の城下町。日明貿易・日朝貿易で発展→「小京都」と言われた
―府内:豊後の大友氏の城下町。現・大分市。大友宗麟がキリスト教保護→南蛮船
―鹿児島:薩摩の島津氏の城下町。

●港町:戦国時代に海運の拠点となった都市
―堺:現・大阪府堺市。和泉国と摂津国の境にあった。応仁の乱のあと、商人たちが、
細川氏と手を結ぶ。勘合貿易・日明貿易・南蛮貿易の拠点。会合衆(かいごうしゅうorえごうしゅう)
による自治で有名。堀を作って、番人を置いて自衛。宣教師「堺はベネチア共和国のようだ!」
と書いている(『耶蘇会士日本通信』)。茶の湯(千利休など)、芸能、鉄砲製造など文化面でも発展。
魔王・織田信長からの矢銭を拒絶!が、信長に「なめとんか?丸焼きにするぞ?」と言われ屈服。
その後、豊臣秀吉に堀を埋められ自治都市・堺の伝統は消えていった。
―兵庫:現・神戸市。平清盛以来(大輪田泊)日宋・日明貿易の拠点。
―十三湊(とさみなと):津軽半島の日本海側にあった港。蝦夷地との結び目。
―小浜(おばま):(福井県の)若狭湾の支湾・小浜湾。敦賀と共に、琵琶湖→京都を結んだ
―大湊(おおみなと):(三重県)伊勢の門前町、宇治・山田の外港。
―草戸千軒町(くさどせんげんちょう):広島県福山市。門前町・港町・市場町
―博多:筑前国。九州探題(室町時代)→大内氏。商人の自治都市(年行司)

●門前町:寺社の門前から発展した町。
―善光寺:信濃(長野)。阿弥陀仏信仰。門前町長野。
―宇治・山田:伊勢神宮の門前町
●寺内町:一向宗の寺院を中心に作られた町。加賀の金沢。和泉の貝塚など。
―石山(石山本願寺):大坂(現・大阪)。蓮如。顕如が信長と争い焼失。跡地に秀吉が大坂城を作る。
―富田林:河内国(現・大阪)。一向宗による寺内町。
●宿場町:東海道(京都~鎌倉間)に発達。近江草津宿、伊豆三島宿など。
いよいよ(やっと?)戦国大名に


上が1560年頃(桶狭間の戦いの前)・下が1570年頃
北条早雲が戦国大名の始まりと言われる(小田原の北条氏)

(小田原の)北条5代がほぼ100年。鎌倉時代の「北条家」と血のつながなりは
ないが、正統な後継を自称するために名乗った模様。だから「後北条氏」と言われる。
豊臣秀吉に滅ぼされるまで、関東一帯を支配。
北条早雲(1432~1519):戦国大名の先駆け。伊豆を奪い、後に小田原城を拠点にした
・北条氏綱(うじつな):二代目。南関東平定。
・北条氏康(うじやす):三代目。今川義元、武田信玄らとやりあう。小田原・北条氏の最盛期
・北条氏政(うじまさ):四代目。1590年豊臣秀吉に滅ぼされる。
今川義元(海道一の弓取り/桶狭間で負ける)

今川義元(1519~1560)
駿河・遠江(とおとうみ)・三河を支配。今川氏は足利系一族(清和源氏)。
東海の雄・海道一の弓取りと言われ、もっとも天下に近いと思われた、
今川義元だが、1560年織田信長に尾張の桶狭間の北方にある田楽間で奇襲に
遭い死亡(桶狭間の戦い)。以後、今川氏は衰える。

尾張国の桶狭間は現在の愛知県豊明市あたり
武田信玄(戦国の巨獣・甲斐の虎)と上杉謙信

武田信玄(晴信・1521~1573)
武田氏(家)は清和源氏の子孫。信玄が最盛期。信玄の子の勝頼で滅亡。
父・武田信虎を(今川家に)追放して、甲斐(現・山梨県)を支配。
甲斐・甲州は金の産地。甲斐から信濃に進出し、上杉謙信と争う
((長野県の)川中島の戦い3)。謙信とは決着つかず、上京を決意。
織田、徳川と戦い(三方ヶ原の戦い・現在の静岡)勝つが、上京の途中で
死去。残念!なお、「信玄」は出家後の名前。
●「甲州法度之次第」(こうしゅうはっとのしだい):武田信玄が制定した法律。喧嘩両成敗。「信玄家法」。
●信玄堤(しんげんつつみ):現・甲斐市にある堤防。信玄が作らせた。増水に耐えるように設計。
釜無川(かまなしがわ)と御勅使川(みだいがわ)の合流地点付近。

上杉謙信(長男景虎・かげとら)1530~78
![]()
越後(現・新潟)の戦国大名。もともと守護代で、主家の管領・上杉家を継いで
上杉を名乗る(謙信は出家後の名)。武田信玄と川中島で戦い、関東で北条氏と戦った。

四国・中国地方・九州の戦国大名


上が1560年頃(桶狭間の戦いの前)・下が1570年頃
【山陰・山陽の中国地方】
●尼子氏(あまごし):山陰(島根・鳥取)の戦国大名。出雲国の守護代。
●大内氏:城下町・山口。大内義隆→陶晴賢(すえはるかた)→毛利氏に敗れる
●毛利元就(1497~1571):安芸の国人。大内氏を滅ぼし山口を領有、尼子氏を
討ち山陽・山陰を支配。中国地方の戦国大名と言えば毛利氏(毛利元就)。三本の矢。
毛利元就像
【四国】
●長宗我部元親(ちょうそかべもとちか):四国→長宗我部氏のトップ。土佐豪族→四国支配。
秀吉に攻められて従い、土佐(高知)一国のみを与えられる。
【九州】
●大友氏:筑後・豊後等。大友義鎮(よししげ/宗麟そうりん)が最盛期。
●島津氏:薩摩、大隅、日向(現・鹿児島、宮崎)の守護→戦国大名。
織豊政権(安土桃山時代)+徳川家康
織豊政権:織田信長(1534~82)と豊臣秀吉(1537~98)の政権。
1573年の室町幕府滅亡~1598年秀吉の死(or1603年の江戸幕府成立頃)まで。
安土桃山時代:1573年の室町幕府滅亡~1598年秀吉の死(or1603年の江戸幕府成立)まで。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康

織田信長(1534~82) 豊臣秀吉(1537~98) 徳川家康(1542~1616)
「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」(信長):レボリューション(革命)&イノベーション
「泣かぬなら泣かせてみようホトトギス」(秀吉):スピード&コミュニケーション
「泣かぬなら泣くまでまとうホトトギス」(家康):パーフェクトコントロール














画像出典:http://www.historist.jp/articles/entry/themes/life/006357/


上が1560年頃(桶狭間の戦いの前)・下が1570年頃
織田信長(1534~82):レボリューション(革命)&イノベーション
織田信秀の子で、幼い頃は「うつけ」と呼ばれる。尾張を何とかまとめ上げる。
(1543年鉄砲伝来・1549年キリスト教伝来)
1560年桶狭間の戦い:ポット出の織田信長が「大」大名の今川義元を奇襲で破る。
1567年稲葉山城を斎藤竜興から奪い、岐阜城と命名(安土城完成まで居城)。城下に楽市。
1568年・足利義昭を室町幕府最後の15代将軍(在位1568~73)に据える。
1570年・姉川の戦い:近江。信長・家康連合vs浅井長政vs朝倉義景(よしかげ)
1571年・延暦寺焼き討ち:最澄(伝業大師)以来の鎮護国家の根本道場を焼き討ち!!
1573年・室町幕府滅亡:足利義昭は将軍にしてもらった恩を忘れ信長に反抗、あっさり滅ぼされる
1571・73・74:長島一向一揆:伊勢長島の一向宗・本願寺門徒が信長に反抗。鎮圧される。
1575年・長篠合戦:三河の長篠(静岡)で(既に信玄は死亡)武田勝頼を足軽鉄砲隊8を
駆使して破る。武田家滅亡は82年(天目山の戦い(甲州・山梨))。長篠合戦図屏風。
![]()
1575年・越前一向一揆:長篠合戦後、越前(福井)に向かい鎮圧。信長忙しいね・・・
1576年・安土城:近江(滋賀県)に築いた城。五層七重。本能寺の変後に焼失。
1570~80・石山本願寺との戦い(石山合戦8):大坂。顕如が信長と争うが、最後は負ける
1582年・本能寺の変:京都の本能寺で明智光秀の謀反(むほん)で自害。享年49歳。
●楽市・楽座:商売を自由にできるようにした。安土城下など。信長・秀吉。
●関所撤廃:信長・秀吉が全国的に実施。商売・交通が発達。

豊臣秀吉(1537~98):スピード&コミュニケーション
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尾張中村(愛知県)の農民の出→信長の家臣→関白にまで出世。日本統一。
名前の変遷:木下藤吉郎→羽柴秀吉→豊臣秀吉(関白→太閤)
信長が本能寺で討たれた時(1582年)、備中(岡山県)の高松城で毛利氏と
戦っていた秀吉は、講和し、猛スピードで京都に戻り(中国大返し)、明智光秀を討つ!
【秀吉の天下統一の流れ】明智光秀討つ→織田家統一→大坂城→四国・九州・小田原
【秀吉の天下統一の流れ】明智光秀討つ→織田家統一→大坂城→四国・九州・小田原
1582年:山崎の戦い:京都の山崎天王山で光秀を破る→信長の後継者へ
清須会議で柴田勝家(信長家臣団のNo1)と対立。
1583年:賤ヶ岳の戦い(しずがたけ):近江の賤ヶ岳(滋賀県長浜)で秀吉が柴田勝家を破る。
1583年:大坂城を作る。石山本願寺の跡地。前面が摂津の海(大阪湾)+淀川で
畿内各地にいけるので、大阪はしばらく日本経済の中心になる。
1584年:小牧・長久手の戦い:豊臣秀吉vs徳川家康。尾張の小牧・長久手。引き分け。
秀吉・関白に就任。朝廷から「豊臣」の姓を与えられる(豊臣秀吉)
1585年:四国平定:長宗我部元親は秀吉に降伏し、土佐(高知)一国のみになる。
惣無事令(そうぶじれい):大名間の私的闘争禁止令。「無事」=和平、和睦
1587年:九州平定:薩摩の島津義久を従わせた。島津家の薩摩支配は許される。
バテレン追放令:九州平定後、博多で発令。
1588年:京都の聚楽第(じゅらくだい)に後陽成(ごようぜい)天皇を招く
(後陽成天皇(在位1586~1611):秀吉に豊臣姓を与え、太政大臣。後、家康を征夷大将軍に任命)
1590年:小田原攻め:秀吉の全国統一完成。北条氏政は切腹。「小田原評定」
奥州平定:秀吉は小田原から奥州(会津)にいき、伊達政宗に奥州を任せる
1598年:大坂城で死去。辞世の句「露と落ち 露と消えにし わが身かな 難波の事も 夢のまた夢」
秀吉の国内政策:検地(太閤検地)と刀狩

全国統一した秀吉は領地をドンドン増やしたが、直轄地(蔵入地)は
220万石(まんごく)で多くは畿内。
石高(こくだか):生産高を米の生産量で示す。一石はお米150kg位(約75000円?)。
検地:大名がやった土地の調査。信長は指出検地。
太閤検地(天正の石直し):秀吉の行った検地。各種面積を統一して全国に
役人を派遣して実施。検地帳を作成(土地と農民支配の基本となる)。京枡を利用。
―町(ちょう)・段(たん)・畝(せ)・歩(ぶ):太閤検地で統一した面積の単位。
―石盛(こくもり):石高を定めるための段あたりの収穫高
―一地一作人(いっちいっさくにん):一区画の工作者を一人の百姓に定めた

刀狩(1588年)
兵農分離と身分の固定(身分統制令・1591年)をはかるために、
「方広寺の大仏造営に必要だから」という理屈で、農民から武器を
没収した(刀狩・刀狩令:1588年)
秀吉の対外政策:二度の朝鮮侵略
【二度の朝鮮侵略7】(語呂合わせ「文が先!」文禄の役・慶長の役)

1592~93:文禄の役・肥前(佐賀県)に名護屋城を作り、そこを拠点に朝鮮に侵略
加藤清正、小西行長等が活躍。朝鮮水軍の李舜臣(りしゅんしん)や義兵の抵抗で和睦
1597~98:慶長の役:戦いの途中で秀吉が死ぬ。
(朝鮮では二度の秀吉(日本)の侵略を「壬辰・丁酉の倭乱(じんしんていゆうのわらん)」と言う)
秀吉の5大老と5奉行

●五大老:有力大名が担う。徳川家康は五大老筆頭。
―徳川家康:駿府(静岡)→江戸
―前田利家:加賀100万石。北陸最大の大名。金沢城。
―毛利輝元:毛利元就の孫。関ヶ原では西軍の大将。
―小早川隆景:毛利元就の子供。安芸(広島)の小早川家を継ぐ。
―宇喜多秀家:備前岡山城主。
―上杉景勝:小早川隆景の死後に5大老に就任。北陸→会津若松120万石
●五奉行:秀吉子飼いの側近。石田三成が大事。
―石田三成:秀吉の右腕。関ヶ原の戦いで負けて処刑
―浅野長政:秀吉の妻の妹の婿。五奉行首座。
―増田長盛(ましたながもり)
―前田玄以(げんい)
―長束正家(なつかまさいえ)
1598年の秀吉の死後、石田三成を筆頭に「豊臣家」を守ろう
とするが、徳川家康の「コントロール」の前に屈する事になる。
1600年関ヶ原の戦い→東軍(家康)vs西軍(石田三成)。石田三成処刑
1603年江戸幕府が開かれる
まとめ―戦国時代(1467年~1573年)
応仁の乱(1467年~77年)の頃から、室町幕府(足利将軍家)は
衰退し、各地で実力者がのし上がる「下克上」の時代がやってくる。
応仁の乱から織田信長が室町幕府を滅ぼす1573年までの約1世紀を
戦国時代という。
戦国時代(16世紀頃)になると、日本国内+朝鮮・中国だけでなく、
ヨーロッパとも関係が始まる(鉄砲伝来1543年・キリスト教1549年)。
それらの新しい知見を最大限活かして、日本に「近世」から一気に「近代」を
もたらすかに見えたのが織田信長(1534~1582)。
各地の一揆を叩き潰し、平安時代以来の仏教(天台宗)・鎮護国家の根本寺院・
比叡山延暦寺を焼き討ちし、出てきつつあった商人の自治都市・堺を
丸呑みし、室町幕府を潰し(1573年)、各地の戦国大名と戦い続けた
魔王のような信長も、全国統一まであと一歩という所で部下の明智光秀
に謀反され自害!(1582年・本能寺の変)
織田信長の部下で、農民の出自の豊臣秀吉が後を継ぎ、全国統一をなし
とげる(1590年)。
(1598年秀吉死去→1600年関ヶ原の戦い→1603年江戸幕府)
戦国時代(1467年~1573年)の基本年表
(1467年~77年 応仁の乱)
(1489年 足利義政が東山に山荘・銀閣寺(慈照寺)を建てる)
1495年 北条早雲が小田原城に入る
1543年 ポルトガル人が鉄砲を伝える(種子島)
1549年 キリスト教伝わる(ザビエル)【語呂合わせ:いごよく伝わるキリスト教】
1560年 桶狭間の戦い(織田信長vs今川義元):信長が歴史の表舞台に!
1573年 室町幕府が滅びる(15代・足利義昭が信長にほっぽり出される)
1575年 長篠の戦い:信長が武田勝頼をやぶる(甲斐の武田家滅亡)
1582年 天正遣欧使節がヨーロッパに行く
1582年 織田信長が明智光秀に京都の本能寺で討たれる(本能寺の変)
1590年 豊臣秀吉が全国統一
(1598年秀吉死去→1600年関ヶ原の戦い→1603年江戸幕府)
