弥生時代後期:邪馬台国 日本史3―「中学受験+塾なし」の勉強法

漢委奴国王印(福岡県志賀島(しかのしま、10)で発見)

弥生時代(紀元前4世紀頃~紀元3世紀頃)・弥生文化のポイント

★弥生時代(前300年~300年位)の必須年号★

紀元0年は弥生時代!

57年(こんな金印もらったよ)「漢」という国から「漢委奴国王印」

239年(卑弥呼にふみ来る):「魏」という国から「親魏倭王」の称号

●(本格的な)定住+農耕

●水稲耕作始まる→農耕社会(農機具)

●生産力向上→「階級」発生→「小国」ができる→邪馬台国(3世紀)

●紀元0年(西暦0年)は弥生時代!

●卑弥呼は弥生時代+3世紀の人

●朝鮮半島と中国との関係始まる

 

弥生時代後期:倭国(紀元1世紀前後)→邪馬台国(3世紀、201年~300年)

●弥生時代後半は、小国(しょうこく、くに)ができて

●中国(秦(しん)、漢、魏(ぎ))との関係が出てくる

●3世紀に、30の小国を従える邪馬台国(やまたいこく)が登場

 

1 小国の分立:紀元1世紀前後

小国:地域的な小集団。「くに」とも言われる。

北九州~近畿(大和)地方に点在。中国と交流。

(同時代の中国の国)

(しん、前221~前206)

(前202~後220、後漢、25~220)

三国時代魏・呉・蜀(ぎ・ご・しょく) 3世紀頃の中国・三国志。

『漢書』地理誌(かんじょちりし)によると、

「日本は中国では「倭(わ)」(倭国)と呼ばれ、100余の国に別れ、朝鮮半島北部に

置かれた漢の楽浪郡(らくろうぐん)に使節を送っていた。」

 

『後漢書』東夷伝(ごかんじょとういでん)によると

紀元後57年に、倭の奴国(なこく)の国王が、後漢の光武帝(こうぶてい)

に使者を送って、印綬(いんじゅ)を与えられた。漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)

(語呂合わせ「57=こんな金印もらったよ」)

「印綬 奴国」の画像検索結果

漢委奴国王印(福岡県志賀島(しかのしま)で発見)

「志賀島 地図」の画像検索結果「志賀島 地図」の画像検索結果

奴国(なこく):1~3世紀福岡県博多地方にあった小国。後漢から印綬をもらう。

 

2 倭国の乱(2~3世紀)

倭国(中国での日本の呼び名)では国々が争った

3世紀頃に(30程度の小国まとまり)邪馬台国になる

中国では、3世紀頃、後漢がほろび「三国志」の時代に。

三国時代魏・呉・蜀(ぎ・ご・しょく) 3世紀頃の中国。

魏が日本との関係が深い。魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備。

『魏志』倭人伝(陳寿が書いた『三国志』の一部)に倭(日本)の記述

3 邪馬台国:3世紀

30程度の小国からなる連合国家(3世紀)

狗奴国(くなこく、邪馬台国の南にあった国)と対立

「狗奴国」の画像検索結果

出典:http://tadatakitada.blog.fc2.com/blog-entry-197.html

女王卑弥呼:呪術的な巫女(みこ)。239年魏に使者を送る。

魏から「親魏倭王」の称号と印綬を送られる(「魏志倭人伝」に書かれている)

帯方郡(たいほうぐん・朝鮮半島)を通じて魏と交流

・邪馬台国の身分制度:大人(たいじん)が支配階級、下戸(げこ)が庶民

壱与(いよ):卑弥呼の死後、男王でまとまらなかったので、立てられた女王の名前

・邪馬台国の位置・場所には二説あり:九州説と大和説(九州か近畿・畿内(奈良辺り)か)

「邪馬台国 場所」の画像検索結果

出典:和楽

 

弥生時代(紀元前4世紀頃~紀元3世紀頃)・弥生文化のまとめ

●(本格的な)定住+農耕

●水稲耕作始まる→農耕社会(農機具)

●生産力向上→「階級」発生→「小国」ができる→邪馬台国(3世紀)

●紀元0年(西暦0年)は弥生時代!

●卑弥呼は弥生時代+3世紀の人

●朝鮮半島と中国との関係始まる

★弥生時代(前300年~300年位)の必須年号★

紀元0年は弥生時代!

57年(こんな金印もらったよ)「漢」という国から「漢委奴国王印」

239年(卑弥呼にふみ来る):「魏」という国から「親魏倭王」の称号