弥生土器の画像(出典:http://shimonogou-iseki.yayoiken.jp/dougu.htm)
日本史は【米】の歴史(年貢を納める)でもあるので、弥生時代は日本史の始まりといえます
弥生時代(紀元前4世紀頃~紀元3世紀頃)・弥生文化のポイント
●(本格的な)定住+農耕
●水稲耕作始まる→農耕社会(農機具)
●生産力向上→「階級」発生→「小国」ができる→邪馬台国(3世紀)
●紀元0年(西暦0年)は弥生時代!
●卑弥呼は弥生時代+3世紀の人
●朝鮮半島から多くの人が来て混血
縄文時代(約1万年前~紀元前4世紀)と弥生時代の連続と断絶
縄文時代→弥生時代の「連続」は「土器の使用」(種類は違う:縄文土器→弥生土器)
縄文時代→弥生時代の「断絶」は「水稲耕作」(農耕+定住もだが、縄文後期には始まっていた)
http://orimoyou.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-824c.html
弥生時代・弥生文化:前期・中期・後期(紀元前4世紀~3世紀頃)
弥生時代(紀元前4世紀~3世紀頃)は、朝鮮半島から人が来た。
(「渡来人11」は厳密には弥生時代の後の古墳時代以降に来た人)
水稲耕作が始まり、鉄器・農機具の使用で生産性が上がり、階級が
生まれた時代。
水稲耕作
・農耕社会7:水稲耕作(すいとうこうさく)11(北九州→関東→東北)、湿田(しつでん)9、乾田(かんでん)8
木製農具11(竪杵(たてぎね)11、木臼(きうす)10、木鋤(きすき)9、木鍬(きくわ)7、田下駄(たげた)7)
出典:https://jahistory.com/yayoi-nougu/
・石包丁(いしぼうちょう)11:打製と磨製両方あり/ 穂首刈り(ほくびがり)8
現在、稲の収穫は根っこから刈り取りますが、
弥生時代前期・中期は石包丁を使って稲穂の首を刈り取る
穂首刈りでした。
石包丁
・高床倉庫11(登呂遺跡7:静岡県南部/ 唐古・鍵遺跡(からこかぎいせき)9:奈良県)
登呂遺跡 http://www.iki-haku.jp/harunotsuji/pho02-03.html
唐古・鍵遺跡(からこかぎいせき)https://blog.goo.ne.jp/nietaazuki/e/d8bfd12507e285035e5c2e860bda3c8d
http://blog.livedoor.jp/aritouch/archives/3407306.html
・弥生土器11:縄文土器に比べて、薄くて固く赤褐色。文様が簡素
高杯(たかつき)11、甕(かめ)11、壷(つぼ)11、鉢(はち)4
弥生土器の画像(出典:http://shimonogou-iseki.yayoiken.jp/dougu.htm)
青銅器・鉄器
・金属器9(青銅器11や鉄器11)が朝鮮半島から伝来
・青銅器→銅剣11、銅矛(どうほこ)11、銅鐸(どうたく)、銅鏡11、銅戈(どうか)9
・荒神谷(こうじんだに)遺跡7:島根県。神庭(かんば)遺跡とも言う。
画像:http://web.joumon.jp.net/blog/2011/07/1295.html
・鉄器11:鉄製工具7(鉄斧4、刀子(とうす)6)
・九州北部から始まり、東北地方まで
生産力向上→階級の発生
・高地性集落10、環濠(かんごう)集落11
・吉野ヶ里遺跡8:佐賀県。日本屈指の大環濠集落。弥生時代前期。
物見櫓(ものみやぐら・『魏志』倭人伝)
吉野ヶ里遺跡の物見櫓(http://banananbananan.junglekouen.com/e194257.html)
・機織(はたおり)8
・墓の種類色々:権力者の出現
甕棺墓(かめかんぼ)10、支石墓(しせきぼ)7、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)9、墳丘墓(ふんきゅうぼ)7
甕棺墓(かめかんぼ)
支石墓(しせきぼ)
墳丘墓
弥生時代(紀元前4世紀頃~紀元3世紀頃)・弥生文化のポイントまとめ
●(本格的な)定住+農耕
●水稲耕作始まる→農耕社会(農機具)
●生産力向上→「階級」発生→「小国」ができる→邪馬台国(3世紀)
●紀元0年(西暦0年)は弥生時代!
●卑弥呼は弥生時代+3世紀の人
●朝鮮半島から多くの人が来て混血
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