「仏教」で日本史を見ていくと大事なポイントがおさえられます。

また、中学受験に限らず、「日本史における仏教」は単純に面白い

ですし、教養としても大事かと思います。

    

仏教の流れ(中学受験日本史)

以下で、日本史における仏教の流れを大まかにまとめます。

そもそも、「仏教」はインドに生まれ、アジア全域に広まりましたが、

日本に伝来したのは、西域(中国西部)→中国・朝鮮半島経由の仏教です。

「大乗仏教」(北伝仏教)と言います。

ちなみに、スリランカやタイなど南の方に伝わった仏教を小乗仏教(南伝仏教)

と言います。細かな違いは色々ありますがまあ中学受験ではいいでしょう・・・。

地図で見る仏教伝播

出典:https://www.koumyouzi.jp/blog/902/

画像出典:http://www.ranhaku.com/web04/c5/4_01map.html

仏教伝来(538年)から奈良時代(東大寺の大仏・道鏡)まで

時は飛鳥時代。

538年に朝鮮半島の百済(くだら)から仏教が伝来したとされています。

その「仏教」を取り入れるかどうかで、蘇我氏(仏教で統治しよう!)

と物部(もののべ)氏(仏教いらない!日本には神々がある!)が

争います。

蘇我氏が政争に勝って、仏教によって国を治めていくことになりました

聖徳太子(蘇我馬子とは親戚です)の「17条の憲法」「法隆寺」などが

有名ですね?三宝(仏・法・僧)です。(ちなみに日本古来の宗教物語

をまとめた『古事記』は712年・奈良時代ですので、仏教伝来の後です)

 

時は奈良時代(710~794)。

奈良時代になり、さらに仏教は影響力を持ちます

聖武天皇は東大寺の大仏を作らせましたね?

奈良時代の末期には、称徳天皇(孝謙天皇としても天皇になっています)

が、愛人?の僧・道鏡を重用し、あやうく道鏡が天皇になりかけるという

事件にまでなりました。

それくらい「仏教」というのは政治に影響力を持っていたわけです。

なお、奈良時代に、「神仏習合11」といって、日本古来の神々と、

仏教信仰を融合するという(都合の良い)仕組みができ、神道の「神」

と仏教の「仏」、つまり、(大雑把に言うと)「神仏は本来同じ」とい

うさらに都合の良い解釈になっていきますwww

それを「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」10と言います。

なお、この「神仏習合」は、な、なんと明治時代初期の神仏分離令

(1868年)まで続きます。すげ~~。

 

平安時代(794~1185)の仏教:最澄と空海

時は平安時代(794~1185)。

奈良時代にあまりにも仏教が政治に入り込みすぎたので、

桓武天皇は、(政治に関わらないような)マジメな修行僧を

重用します。それが、遣唐使でもあった、最澄と空海です。

二人とも、修行修行修行のモノホンの仏教徒・僧だったわけです。

平安時代の3大権力者、藤原道長(満月の人)や白河上皇(怖いのは

鴨川の水、サイコロの目、僧兵だけの人)や平清盛(〔言ったのは親族

ですが〕「平氏でなければ人でない」の人)なども、

仏教を大事に扱いました。

 

鎌倉時代(1185~1333)の仏教:庶民派仏教の誕生

時は鎌倉時代(1185~1333)。

鎌倉時代になると新しい仏教の宗派(新仏教)が出てきます

一言で言えば「庶民派仏教」です。最澄の天台宗、空海の真言宗

などは旧仏教と言われるようになります(とはいえ、新仏教も

旧仏教から出発しています)。

出典:https://bunpon.com/?p=1253【鎌倉仏教の語呂合わせ:情報知らん日蓮!1時にエリの同窓会】

最澄(天台宗)や空海(真言宗)のようなガチの修行とか、

庶民(ほとんどは農民)には無理ですよね?

ということで、鎌倉時代の新仏教は、かなりインスタント(お手軽)です。

「唱えれば良い」(浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗)

「座れば良い」(臨済宗、曹洞宗)

に分けられます。

【鎌倉仏教の語呂合わせ:情報知らん日蓮!1時にエリの同窓会】

①情(じょう)→じょうど→浄土宗

②法(ほう)→ほうねん→法然

③知らん→しんらん→親鸞

    →じょうどしんしゅう→浄土真宗

④日蓮→日蓮、日蓮宗

⑤1(いち)→いっぺん→一遍

⑥時(じ)→じしゅう→時宗

⑦エ→えいさい→栄西

⑧リ→りんざい→臨済宗

⑨同(どう)→どうげん→道元

⑩窓(そう)→そうとう→曹洞宗

*念仏のように唱えましょう・・・

 

 

室町時代(1336~1467)の仏教:15世紀は一揆の時代

時は室町時代。

鎌倉時代~室町時代に、庶民(ほぼ農民)に新仏教が爆発的に

広まります。そして、「15世紀は(仏教徒による)一揆の時代」

となっていきます。

ここまでをまとめます。

【飛鳥時代から鎌倉時代までの仏教まとめ】

飛鳥時代→仏教伝来538年→蘇我氏・聖徳太子が利用・広める。三宝(仏法僧)

奈良時代→仏教が国・政治に入りすぎた(聖武天皇・大仏、称徳天皇と道鏡etc)

平安時代→桓武天皇「道鏡ヤバイ!仏教は真面目な修行僧にやらせよう→最澄と空海」

鎌倉時代→庶民派仏教が大流行:念仏唱える(or坐禅・座る)だけで救われる!

 

538年の仏教伝来から、戦国時代の入口になった応仁の乱(1467~77)頃

までは、日本史において「仏教」は、極めて大事な立場にありました。

ただ、その後、あの「大魔王」がやってきて、仏教受難の時代がやってきます

そうです、あの大魔王の時代がやってきます。

 

戦国時代(1467~1603)の仏教:大魔王・織田信長!

時は戦国。

大魔王・織田信長(1534~82)の登場です

守護大名や、農民たちの土一揆や、長年力を持っていた仏教・僧兵や、出てき

つつあった商人(堺など)や、かろうじて生きながらえていた室町幕府(足利将軍)

などをすべて武力で叩き潰し、飲み込む魔王のような男です。

「織田信長 仏教」という意味では、「鎮護国家の根本道場」と言われた、

伝教大師(最澄)が建立した、(比叡山)延暦寺の焼き討ち(1571年)が有名ですね。

「仏罰?どんとこーい!」「焼いちまいな~」

という感じでしょうか?

それ以外にも、長島一向一揆(一向宗(浄土真宗)の一揆)も全滅させますし、

その親玉である、石山本願寺(浄土真宗)との10年戦争「石山合戦」等々、

織田信長は、これまでの秩序(仏教はその象徴でもある)を徹底的に破壊

していきます。創造的破壊というやつでしょうか?

(信長の後継者、豊臣秀吉が石山本願寺の跡地に大坂城を建てたのは

歴史の皮肉という感じですね)

いずれにせよ、大魔王・信長によって、日本の仏教はズタズタにされ、

特に「武士と仏教」は水と油のような関係性になっていきます。

(ただし、仏教の中でも「禅・禅宗」はうまく生きながらえていきます)

    

江戸時代(1603~1867)の仏教:徳川家康のパーフェクトコントロール

時は江戸時代(1603~1867)。

「パーフェクトコントロール」の徳川家康は、仏教を飼いならして

いきます(他のものも飼いならしていくわけですが)。

江戸時代、5代目・徳川綱吉のあたりから、儒教(朱子学)が使われ、

「忠義、孝行」といった道徳的な部分が重視されていきました

では、江戸時代の仏教はどうなった?

さすが家康、管理・コントロールの天才。

仏教を骨抜きにして(政治に逆らわないような形で)管理し、同時に

寺を利用して、国民(幕藩体制ですが)をも管理していきます。

それは今でも続いているような気がします。

具体的には、寺に順位をつけて利用(本末制度(本山・末寺)8)し、

庶民を寺に所属させ戸籍制度のような事をします(寺請制度8)。

いわゆる「檀家」というやつですね。

寺は檀家がいれば、葬式等で固く稼げますしね。

仏教から、思想や体系を骨抜いて、「葬式仏教」として形骸化

させてうま~く支配したわけですね。いや~天才・家康やわ~。

ただ、江戸時代(1603~1867)は260年以上と長いので、さすがに

儒教(朱子学)でずっとはもちません。

江戸時代の後期から幕末に、ペリー等外圧が加わり、ナショナリズム

(愛国心)の一環として、「国学」と言われるものが出てきます

本居宣長の『古事記伝』や平田篤胤(あつたね)の「復古神道」など

ですね。ものすごく簡潔にいうと、

「仏教や儒教は外国からとりいれたもんやろがい!日本独自の歴史を

知ろうやないかい!」「儒教、仏教ゼロにして天皇中心の神道国家で

いこうや!」といった感じです(大まかには合ってると思われますw)。

 

明治時代~第二次世界大戦までの仏教:国家神道!廃仏毀釈!

時は明治時代(1868~1912)。

幕末から、明治維新期には、天皇を敬い、外国を排除するという、

「尊皇攘夷」という流れがありましたね?そのため、維新の志士たちに、

「復古神道」は非常に支持されます。

そして、明治時代には、神道国教化運動が起こります(国教化はされてません)

では、明治時代に仏教はどうなった?

明治時代は、「近代国家」を作るために、ナショナリズムを利用しました

ので、「日本=神の国=神道国家」を目指しました。

ですので、仏教は、最初は排斥されます。神仏分離令8、廃仏毀釈

(はいぶつきしゃく)8といって、お寺や仏教が排斥されました。

明治時代の頃には、『古事記』はいわばキリスト教徒にとっての新約聖書の

ように、歴史の事実として教えられていました。

ただ、あまりにも「神仏習合」の時間が長かったためか、あるいは神道国教化

がうまくいかなかったためか、完全には仏教は排斥されず、地道に残って

いく事になりました。

 

戦後の仏教

時は戦後(1945年~)。

日本は第二次世界大戦に負けて、アメリカ(GHQ)に占領されます。

日本のナショナリズムを抑えようとしたのは当然ですね。

「神道指令」(国家と神道との分離指令、1945年)6を出します。

これで国家神道は消滅します。

そして、『古事記』は教科書から消えて、現代の日本人は古事記の基本

的な内容もあまり知らないという事になっています。

ただ、ご存知のように、神道・神社がなくなったわけではなく、仏教が

明治時代に弾圧されてもなくならなかったように、神社(神道)も、

お寺(仏教)も日本人の生活の中に生きつづけているという事に

なります。

 

「現代の日本人の多くは神道で生まれて、キリスト教的に生きて、仏教で死ぬ」

 

と言われたりしますね。