大化の改新(645年)以来、古代の土地制度をまとめました。
「土地制度」は、国・国民を管理する基本となるので、その後も
ず~~~~っと続きますからとても大事です。
なお、「公地公民:土地人民は朝廷が支配しま~す」(646年)が
うまくいかず、土地を支配する人たちが変わっていきます(貴族→侍)
が、基本的にはその土地土地の有力者が支配を続けます。
江戸時代といえど、(江戸幕府には逆らえないですが)「藩」が土地と
人民を支配していました。それが一気に反転して、再度「土地と人民は
国が支配しま~~す」と言ったのは、何と明治時代の廃藩置県(1871年)
です。
古代土地制度まとめ(公地公民→三世一身法→墾田永年私財法)
公地公民(646年)→三世一身法(723年)→墾田永年私財法(743年)
公地公民(646年)がうまくいかず、土地を人民に分けていったのが、
「三世一身法(723年)」や墾田永年私財法(743年)です。
その結果、「荘園」ができ、(地主としての)貴族が台頭し、そのガード
マンだった「武士」が勢力を伸ばしてきたのが平安時代の後期ですね。
例えば、平清盛とか。その後、鎌倉時代以来、「武士の時代」が長く続きます
が、土地は、基本的にはその土地土地の有力者が支配を続けます。
江戸時代といえど、(江戸幕府には逆らえないですが)「藩」が土地と
人民を支配していました。それが一気に反転して、再度「土地と人民は
国が支配しま~~す」と言ったのは、何と明治時代の廃藩置県(1871年)
です。
公地公民(646年)
大化の改新11→改新の詔(646年)11で孝徳天皇11が難波宮11で
「公地公民」を宣言。
土地・人民を朝廷が直接支配しますという事。
「土地与えるけど税金(年貢)取る」
のやり方がうまくいかなかった・・・・
三世一身法(723年)
墾田(こんでん)11:未開の土地を開墾した田地
奈良時代になり、公地公民がうまくいかないので、
722年に
百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうぶかいこんけいかく)10:口分田不足を補う
長屋王の時に、「半分公地公民」のような
三世一身法(723年)11(さんぜいいっしんのほう)を実施。
開墾したら3世代の土地私有が可能になる!という制度だったが、
3世代目に逃げるなど、これもうまくいかない・・・。
(出典:『学習漫画 少年少女日本の歴史』小学館)
という事で、墾田は永年(永久)に私財にしていいですよという法律を
出す。それが、
743年墾田永年私財法11:墾田の永久私有を認めた→有力者が私有地広げる→初期荘園10
(聖武天皇・橘諸兄の時代)
私有地になったので、権力者(金持ち)が農民に土地を耕させて私有地を広げた。
その貴族の私有地ガードマンが侍(さむらい)・武士の始まり。
いずれにせよ、農民は苦しく、口分田11を捨てて、浮浪9(本籍離れるも所在は明確)、
逃亡11(行き先不明で租・調・庸を納めない)。荘園に流入した農民多数。