藤原家の家系図(中臣鎌足・藤原不比等・藤原四子・藤原道長)―「中学受験+塾なし」の勉強法

大化の改新(645年)(乙巳の変)以来、古代日本史において、重要な

役割を果たす「藤原氏」についてポイントをまとめました。

以下の四人(四子は一人換算w)を軸にしてください。

中臣鎌足(藤原鎌足):飛鳥時代

藤原不比等:奈良時代初期

藤原四子:奈良時代中期

藤原道長:平安時代中期。1000年頃。

 

藤原家の家系図(中臣鎌足~藤原道長)

中臣鎌足11(なかとみのかまたり・藤原の鎌足)614-669

(藤原家の始祖・大化の改新)

    ↓

藤原不比等11(ふひと659~720):鎌足の子供。大宝律令・平城京遷都。娘が聖武天皇の后(外戚)

    ↓

藤原四子10:藤原不比等の4人の子供。藤原四家→北家が台頭

    ↓(奈良時代末期に藤原仲麻呂がいる)

藤原道長11(966~1027):藤原氏最盛期。息子が藤原頼通(宇治関白)

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藤原氏のルーツと系図 | 【公式】家系図作るなら黒川總合研究所の系図 ...

 

まとめ

以上、

 

藤原家の家系図(中臣鎌足・藤原不比等・藤原四子・藤原道長)―「中学受験+塾なし」の勉強法

 

でした。

 

中臣鎌足(藤原鎌足):飛鳥時代

藤原不比等:奈良時代初期

藤原四子:奈良時代中期

藤原道長:平安時代中期。1000年頃。

 

藤原道長(966~1027)、藤原頼通(992~1074)親子の時代が

藤原家の摂関政治最盛期でしたが、藤原頼通の娘が天皇に嫁いだ

ものの、男子(次の天皇)を産めなかったため、「外祖父」として

の力が途切れ、白河上皇などの院政が始まり、藤原家は衰えていき

ます(藤原氏が衰えていったから白河上皇が院政を敷き権勢を振る

えたとも言えるかもしれません)。

「諸行無常」ですね~、「盛者必衰」ですね~~~(『平家物語』)