いくやまいまい、おおやいか、さかさか(明治時代の総理大臣の名前:語呂合わせ)
かならず、明治時代(1868年~1912年)の概略を先に読んで、基本をつかんでから
詳細に入っていってください。下記を理解できれば中学受験の問題はほとんどできます。
(レベルは高いです。大学入試もこれでそれなりにカバーできます)
明治時代前半(1868~1877)の流れ
明治時代は45年でしたね?(西暦ー67→明治。例、1871年→明治4)
【「武士」の消滅→国会作ります!帝国憲法→日清・日露戦争】
(その間ずっと「富国強兵・殖産興業・西洋化(文明開化)」)
これが基本の流れです。
●富国強兵11:明治初期のスローガン。経済発展+軍事力強化。欧米に追いつけ追い越せ。
●殖産興業11:近代的産業育成の政策。国主導の資本主義化。内務省11と工部省11が中心。
●西洋化・文明開化:ざんぎり頭9、ガス灯11、牛鍋7、レンガ造り(銀座)11、人力車11、鉄道馬車7
この記事では、江戸幕府が倒れて明治新政府ができ(1868年)、
武士が消えていく(1877年西南戦争)までの10年ほどを【明治時代前半】としてまとめました。
【「維新三傑」:西郷隆盛(薩摩)・大久保利通(薩摩)・木戸孝允(桂小五郎/長州)】
この3人+公家出身の岩倉具視(いわくらともみ)が中心となって、新国家【日本】の
基礎を作っていったのが、明治時代前半と考えて良いでしょう。
江戸幕府を倒した、薩摩藩と長州藩と(おまけで土佐藩と肥前藩)が【薩長土肥】(さっちょうどひ)
として役職を独占したので、藩閥政府などと言われたりもします。
明治維新三傑の三人は、全員が明治時代前半で命を落とします。
西郷(1877年・西南戦争)、大久保(1878年・暗殺)、木戸孝允(1877年・病死)
明治時代前半(1868~1877):西南戦争までの基本年表
1867年 10月14日大政奉還→(坂本竜馬暗殺)→12月王政復古の大号令(江戸幕府滅亡)
【1868年(明治元年・慶応4年)】
戊辰戦争11 五箇条のご誓文11
【1869年・明治2年】
版籍奉還(はんせきほうかん)11
【1871年・明治4年】
廃藩置県
【1872年・明治5年】(語呂合わせ:がくせい(学制)が鉄道作って富(岡製糸場)たいよう(太陽暦))
富岡製糸場11
【1873年・明治6年】
徴兵令11 地租改正11 明治六年の政変11
【1876年・明治9年】
廃刀令11 秩禄処分11
【1877年・明治10年】:語呂合わせ いやななんと西南戦争
西南戦争
明治時代前半(1868~1877):西南戦争までの詳細年表
【1868年(明治元年・慶応4年)】
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1868年1月~69年5月 戊辰戦争11(旧幕府軍vs新政府軍(薩摩と長州+その他))
1月 鳥羽・伏見の戦い(京都)11で始まる。旧幕府を東に追いつめていく(東征軍)。
3月 江戸無血開城10:勝海舟と西郷隆盛の会見で幕府は江戸城を明け渡す事に
奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)11などが新政府軍に抵抗
五稜郭(ごりょうかく)11の戦い(箱館戦争):1868年10月~69年5月。戊辰戦争の最後の戦い。
榎本武揚11が反新政府軍のトップ(後に新政府に入る)。新撰組の土方歳三はここで戦死。
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1868年 五箇条のご誓文11:明治新政府の基本方針。→政体書11:明治政府の基本組織
五榜の掲示(ごぼうのけいじ)11:人民の心得が書かれた高札
一世一元の制11:天皇一代につき、一つの元号(それまでは元号はよく変わった)
【1869年・明治2年】
68~69年 東京遷都11:江戸を東京と改めて東京府を開設。以後、現在まで東京が日本の首都
1869年 太政官(だじょうかん)(制)11:1885年に内閣ができるまでの最高官庁
版籍奉還(はんせきほうかん)11:藩主が土地(版図)と人民(戸籍)を明治政府に返した
【1871年・明治4年】
廃藩置県11:藩をなくし、県を設置。this is明治維新という位大事。木戸孝允と大久保利通
府知事・県令11が置かれた。
岩倉使節団11:不平等条約改正+欧米視察が目的。岩倉具視が大使、木戸孝允・大久保利通・
伊藤博文・山口尚芳が副使。米と欧を2年外遊(1873年帰国)。津田梅子もついていった。
日清修好条規11:清との間の最初の条約。対等条約。1894年の日清戦争まで適用。
【1872年・明治5年】(語呂合わせ:がくせいが鉄道作って富(岡製糸場)たいよう(太陽暦))
学制11:フランスの仕組みにならった。国民皆学7。小学校10、東京大学9など。
鉄道開通11:英が指導。(東京の)新橋駅10~横浜駅間。「陸蒸気」(おかじょうき)1と呼ばれた
富岡製糸場11:群馬県富岡。官営模範工場9。フランス人技師が指導。士族の子女が女工。
太陽暦11を採用:1日24時間制、1週間7日制、日曜休日もこの時から
徴兵告諭11→血税一揆・徴兵反対一揆(73~74年)11:「血税」=生き血と勘違い
【1873年・明治6年】
徴兵令11:満20歳以上の男子が兵役11。国民皆兵(かいへい)11。大村益次郎と山県有朋
地租改正11:年貢ではなく、土地の値段の3%の「地租」を金で納める。土地は財産になっていく
明治六年の政変11:岩倉使節団帰国→征韓論を巡って留守政府と対立→西郷隆盛、板垣退助等が辞める
【1874年・明治7年】
民撰議院設立建白書(みんせんぎいんせつりつけんぱくしょ)11:板垣退助。自由民権運動へ
【1875年・明治8年】
樺太・千島交換条約11:日露の国境取り決め。榎本武揚。千島列島が日本。樺太がロシア。
小笠原諸島10:領有を宣言。太平洋戦争で米の占領下になるが1968年復帰。
江華島事件(こうかとう)事件11:朝鮮の島でイザコザ→76年日朝修好条規11
【1876年・明治9年】
廃刀令11:軍人・警官以外は帯刀禁止。不平士族8が激怒→西南戦争などへ
秩禄処分11:士族(と華族)に払っていた家禄10(お米)を廃止→不平士族激怒
【1877年・明治10年】:語呂合わせ いやななんと西南戦争
西南戦争:西郷どん「もうここらでよか」。西郷隆盛死す・巨星墜つ
鹿児島の私学校の生徒が中心。熊本城。田原坂(たばるざか)の戦い
参考:国立国会図書館
明治時代前半(1868~1877):西南戦争までの流れ
大政奉還→王政復古の大号令(67年)→戊辰戦争(1868年~69年)
1867年末に、大政奉還(徳川慶喜が「政権を朝廷にお返しします」)から、
王政復古の大号令(岩倉具視・大久保利通「いや、徳川家は完全に追放で」)
のクーデターが成功し(明治維新)、1868年から明治時代が始まります。
始まりますが、旧幕府・徳川家の残党(桑名藩や会津藩)と、新政府軍(薩摩と長州)が、
【京都(鳥羽・伏見の戦い11)~江戸は無血開城10~東北地方~箱館五稜郭】
と日本列島を北上する戊辰戦争(1868年1月~69年5月)が行われました。
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【相楽総三(さがらそうぞう)9と偽官軍9事件】
相楽総三は大久保利通らと親交があり、倒幕の志士でした。
倒幕がなり、戊辰戦争が始まると、赤報隊9を組織し、
新政府軍の露払い(つゆはらい)として東山道を下ります。彼らは新政府
の許可をもらい、「年貢半減令」9を掲げて農民の支持を得ました。
ところが新政府は、赤報隊と相楽総三らを、「勝手に年貢半減を触れ回っ
た偽官軍である」として、諏訪で処刑しました。最初から使い捨てにする
気だったのでしょうか・・・。
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http://www.town.kikonai.hokkaido.jp/tourism/history/boshin1/
会津の戦い(会津戦争2)では有名な白虎隊(16,17歳の少年部隊)の悲劇もありました。
新政府をアピール:五箇条のご誓文
五箇条のご誓文11(1868年3月):天皇が神に誓う形で、新政府の基本方針が示された。
「話し合いで政治を決める」「身分の上下に関わらず国民が協力する」など、かなり
民主的な内容です。公議世論11、開国和親11
坂本龍馬の「船中八策」がもとになっていると言われていますが、実際に起草した
のは由利公正(ゆりきみまさ・福井藩)9で、修正したのが、福岡孝弟(たかちか・土佐)8。
五榜の掲示(ごぼうのけいじ)11:一揆の禁止、キリスト教の禁止など、国民に対する禁止令
一札:五倫道徳遵守
五倫の道徳の尊守をすること。そして殺人・放火・強盗を禁止しています。
五倫とは、君臣・父子・長幼・夫婦・朋友のことを指します。
二札:徒党・強訴・逃散禁止
江戸時代と同じように、大勢で集まっての民衆運動を禁止しています。
三札:切支丹・邪宗門厳禁
キリスト教を邪宗門として禁止しています(キリスト教邪宗門11)。
しかしこれは諸外国から批判を受け1873年(明治6年)に廃止されました。
四札:万国公法履行
外国人への暴行を禁止しています。ここでいう暴行とは、攘夷のことです。
五札:郷村脱走禁止
罪を犯して逃げることを禁止しています。
首都【東京】+一世一元の世
首都は江戸とされ、「東京」と名前を改めました。1868年~69年です。
また、一世一元の制11:天皇一代につき、一つの元号(それまでは元号は
よく変わった)も決められました。以後、明治・大正・昭和・平成・令和
とずっと続いていますね。
四民平等:士族(武士)+平民(農・工・商)
士農工商(四民)の身分制度は撤廃され、華族11(公家と大名)・士族11(武士)・
平民11(農工商+えた、非人)に分けられました。士族と平民は平等(四民平等)と
されました。華族は特権という事ですね(1947年まで続きました)(公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵)
・苗字の許可10:平民に苗字(名字)が許可されました
・身分間の結婚の自由+職業選択の自由
天皇を中心とした中央集権:版籍奉還(69年)→廃藩置県(1871年)
天皇を中心とした「国民国家」を作るために行ったのが、
1869年 太政官(だじょうかん)(制)11:1885年に内閣ができるまでの最高官庁
版籍奉還(はんせきほうかん)11:藩主が土地(版図)と人民(戸籍)を明治政府に返した
です。当然、大反対が予想されたので、薩長土肥が率先して行い、旧藩主には知藩事11
という役職を与えた。
しかし、それでは、名前が変わっただけという事になってしまいますので、2年後に
大改革を行います。それが、
廃藩置県11:1971年・明治4年、藩をなくし、県を設置。this is明治維新という位大事。
木戸孝允と大久保利通が中心。府知事・県令11という公務員が中央政府から派遣されました。
これは大名などの既得権益層にとっては失業ですので、大大大反対が予想されたため、
事前に薩長土の(御)親兵9を1万人東京に集め、断行しました。
出典 一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書 p215
諸外国へあいさつ回り:岩倉使節団・不平等条約改正ならず(1871~73)
廃藩置県と同じ1871年(明治4年)、岩倉使節団が欧米に出発します。
岩倉使節団11:不平等条約改正+欧米視察が目的。岩倉具視が大使、木戸孝允・大久保利通・
伊藤博文・山口尚芳が副使。米と欧を2年外遊(1873年帰国)。津田梅子もついていった。
(「留守政府」として日本に残ったのは、西郷隆盛、板垣退助(土佐)など)
不平等条約改正はほとんどできず、視察をして帰ってきて、近代化に役立てました。
(久米邦武9:岩倉使節団についていき『米欧回覧実記』を編集。「神道は祭天の古俗」7)
税収安定の「定額制」:地租改正
米→金に税金を変え、安定した税収を目指した明治政府は1873年に地租改正11をします。
地租改正11:年貢ではなく、土地の値段の3%の「地租」を金で納める。土地は財産になっていく
土地の値段(地価)を算出し、持ち主に地券を発行し、その持ち主が納税者として税金を納めます。
「武士」の終りと国民国家:徴兵令・廃刀令
版籍奉還、廃藩置県、四民平等で実質的に士族(旧武士)は失業してしまいました。
ただ、明治政府はそれらの士族たちに家禄(給料としての米)を払っていました。
近代的な国を作っていくのに、「武士・士族」はもういらなくなっていたのですね・・・。
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1873年徴兵令11:満20歳以上の男子が兵役11。国民皆兵(かいへい)11。大村益次郎と山県有朋
1876年廃刀令11:軍人・警官以外は帯刀禁止。不平士族8が激怒→西南戦争などへ
(同年)秩禄処分11:士族(と華族)に払っていた家禄10(お米)を廃止→不平士族激怒
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徴兵令(1873)→廃刀令(76)・秩禄処分(76)で完全に士族は政府から切られました。
征韓論→明治6年の政変→士族の反乱→西南戦争(1877年)/自由民権運動(板垣退助)
【明治六年の政変】(1873年)
上記した不平士族の不満を一身で背負い、担ぎ上げられる事になるのが西郷隆盛です。
岩倉使節団の留守政府として活動していた西郷隆盛や板垣退助は、当時、鎖国をして
いた韓国に国交を開かせようとしました(征韓論9)。
しかし、そこに欧米視察から帰ってきた岩倉具視、大久保利通などが、「今は国内を
固めるべき」と主張し、一回決まった、西郷隆盛の韓国派遣をひっくり返してしまいます。
「誠の人・敬天愛人」の西郷隆盛ですから「やってられんでごわす」といって政府を辞めて
しまいます。板垣退助もやめます。
下野(げや)した板垣退助は自由民権運動11を始め、江藤新平らと民撰議院設立建白書(みんせんぎいんせ
つりつけんぱくしょ)11という国会開設要求を1874年に提出します。立志社11→愛国社11→自由党11
一方、鹿児島にひっこんだ西郷隆盛は、不平士族たちを私学校を通して教育していました。
鹿児島はセゴドンの力でなんとか治まっていましたが、その他の九州各地で士族反乱11が起きます。
1874年佐賀の乱:征韓論で下野した江藤新平10が中心。
1876年新風連の乱:熊本
(同年)秋月の乱7:福岡
(同年)萩の乱8:山口県萩。長州藩の中心地だった日本海側の萩。
全て明治政府に鎮圧されます。最後まで蜂起には慎重で反対だった西郷隆盛
も若い者に担ぎ上げられ、1877年(いやなな)んと西南戦争
渋沢栄一と国立銀行
西郷隆盛や坂本龍馬ほど知られていませんが、明治時代のものすごく大事な人物に
渋沢栄一(1840~1931)11がいます。2024年度から新紙幣の1万円札になる予定です。
渋沢栄一がどのように重要かと言うと、明治時代に日本の資本主義発展に
大きく貢献した経済人だからです。多くの有名な会社や大学を作りました。
渋沢栄一が行った事として大事な事の一つは、
1872年(明治・5年)国立銀行条例11→国立銀行の設立11
です。渋沢栄一は最初の国立銀行である、第一国立銀行8の頭取を務めました。
(第一国立銀行は後に第一勧銀となり、今のみずほ銀行です)
(結構細かくまとめたので、疲れたわ・・・『天上の虹―持統天皇物語』でも読んで寝るわ)
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