江戸の三大改革の語呂合わせ「きたか家斉!天保!」(享保の改革・寛政の改革・天保の改革)+年表・江戸時代③
出典:『中学受験社会の基本問題』(日能研ブックス)p90 A=百姓一揆の件数、B=打ちこわしの件数
幕府の政治の行き詰まりや、飢きん(江戸の三大飢きんは「享保の飢きん」
「天明の飢きん」「天保の飢きん」)などで、打ちこわし11(町人や農民
が金持ち・米屋等を襲い破壊した。百姓一揆とも言います(室町時代は「土一揆」。)
等が起こり、改革を余儀なくされ、18世紀~19世紀の江戸時代に「三大改革」が行われました。
江戸の三大改革の年表
1716年 徳川吉宗8代将軍に就任(~1745年)。享保の改革。
1732年 享保の飢きん9:米価4~5倍に上がる→江戸で打ちこわし
1784年 田沼意次の子供、田沼意知(おきとも)が江戸城中で殺害される
1786年 田沼意次が失脚
1782年~87年 天明の飢饉11:冷害・水害
1783年 浅間山大噴火11。天明の飢饉の一因。長野県と群馬県の境目の山。
1787年~93年 寛政の改革:松平定信
1832年~36年 天保の飢きん9
1837年 大塩平八郎の乱:大坂の陽明学者が貧民救済を訴えて起こした乱
1841年~43年 天保の改革:水野忠邦
江戸の三大改革(享保の改革・寛政の改革・天保の改革)の大枠
●江戸時代の「改革」の語呂合わせ:きたか徳川家斉・天保!●
1享保の改革:徳川吉宗(8代。在位:1716~45)。米将軍
(田沼意次の賄賂政治・重商主義:10代家治の時)
2寛政の改革(1787~93):松平定信。11代家斉の前期。
(1837・大塩平八郎の乱)
3天保の改革:(1841~43)水野忠邦・12代家慶
江戸の三大改革の語呂合わせ「きたか家斉!天保!」
江戸時代も18世紀(1701~1800)以降になると、ほころびが
出てきて「改革」を余儀なくされます。その「改革」の覚え方です。
●江戸時代の「改革」の語呂合わせ:きたか徳川家斉・天保!●
1「き」享保の改革:8代徳川吉宗(在位:1716~45)。米将軍
2「た」田沼意次(おきつぐ):10代家治の老中。ワイロ政治。
3「か」寛政の改革:松平定信。「白河の清きに魚の住みかねて元の濁りの田沼恋しき」
4「徳川家斉」(在位1787~1837):大御所時代。妻40人・子供55人!散財!ウェーイ!
(1837・大塩平八郎の乱)
5「て」天保の改革:(1841~43)水野忠邦・12代家慶
江戸の三大改革の具体的内容・違い
点数や偏差値に差がつくのはここからです。個々の中身と改革名を結びつけましょう。
【江戸の三大改革】享保の改革・寛政の改革・天保の改革
(全てに共通しているのは「ぜいたく禁止!(倹約令)」です)
享保の改革:8代徳川吉宗(在位:1716~45)米将軍・米公方
(まとめ)
【倹約させて、新田開発させて、米を上納させて、人材登用を促し、実用的なものを採用】
(内容)
・倹約令11 ・新田開発11(武蔵野新田など)
・上米(あげまい)11:1万石につき100石、米を上納。そのかわり参勤交代時の江戸滞在は半年でOK
・相対済し令(あいたいすましれい)11:金のもめごとは当事者同士で話し合え!
・公事方御定書(くじかたおさだめがき)11:裁判基準。大岡忠相(ただすけ)11:名裁判官。「大岡裁き」。大岡越前。
・目安箱11:投書箱。小石川養生所11(現在の東京大学植物園)などができた。
・足高の制(たしだかのせい)9:世襲ではなく能力で人材登用。足りない石高を在職中のみ加増
・年貢を検見法11→定免法11に:毎年一定の米が入ってくるようにした。
・株仲間公認11:田沼意次時代だけでなく、享保の改革でも株仲間は公認されています
・実学8、甘藷(サツマイモ)(青木昆陽)9、朝鮮人参9、漢訳洋書輸入緩和10
(結果)
享保の改革はそれなりの成果をあげたとされる事が多いようですよ
寛政の改革(1787~93):松平定信(吉宗の孫で元白河藩主の老中・11代家斉)
(まとめ)
【倹約させて、借金帳消しにして、江戸に来た農民を地元に帰して、朱子学以外を禁止にした!】
(内容)
・倹約令 ・囲米(かこいまい)10:飢きん対策として米をたくわせさせる。義倉9、社倉9
・棄捐令(きえんれい)11:旗本、御家人の借金を帳消しにした
・七分積金 (しちぶつみきん)11:町の運営費(町入用・ちょうにゅうよう9)を節約させその7割を積み立てた
・人足寄場(にんそくよせば11):ようは刑務所!更正施設。石川島11の人足寄場が有名(隅田川河口)
・寛政異学の禁10:儒学の朱子学を正学7とし、それ以外の学問を禁止。昌平坂学問所10
・旧里帰農令(きゅうりきのうれい)10:江戸に流入した没落農民を地元(旧里)に返した
(結果)まあ、挫折?特に庶民からはそっぽをむかれたようですよ
「白河の清きに魚の住みかねて元の濁りの田沼恋しき」
(1837年大阪で「大塩平八郎の乱)
天保の改革(1841~43):水野忠邦(浜松藩主、老中)・12代家慶(いえよし)
(まとめ)家斉の後始末で、江戸最後の改革。幕末の足音がすぐそこに・・・
天保の改革はアヘン戦争(1840~42)ときれいに1年ずれています。
中国では既に欧米列強の侵略が始まっていたわけですね。
(内容)
・倹約令 ・風俗取締令4(ぜいたく禁止)
・株仲間解散11:1841年・物価高騰を抑制するため、ただ1851年に株仲間再興令7で復活
・人返しの法11:強制的帰農令。農村からの出稼ぎ9が多かったが禁止され許可制に。
・上知令(あげちれい)11:江戸・大坂周辺を幕府の直轄地にしようとしたが、反対され実施すらできず
(結果)
失敗。同じ頃、薩摩・長州ではコツコツと経済力を高め雄藩になってきてました
江戸の三大改革の語呂合わせ「きたか家斉!天保!」(享保の改革・寛政の改革・天保の改革)+年表・江戸時代③