大正時代(1912年~26年)の概略(基本編):大正デモクラシーと第一次世界大戦(1914~1918)―中学受験+塾なしの勉強法

明治時代(1868年~1912年)の概略

明治時代の前半(応用編)

幕末(江戸時代末期):【尊王攘夷→公武合体→討幕】

江戸時代(1603年~1867年)の概略

大正時代(1912年~26年)の概略(基本編):大正デモクラシーと第一次世界大戦(1914~1918)

大正文化は「大衆文化」(大正~昭和初期の文化史)

大正時代(1912年・大正元年~1926年・大正15年)の基本と流れ

(西暦マイナス11年=大正○年or大正○年+11=西暦)

●大正時代は15年間と短い

●ポイントは2点:「大正デモクラシー」と「第一次世界大戦」

1)大正デモクラシー:第一次護憲運動、政党政治、原敬内閣(平民宰相)、男子普通選挙(1925年)

2)第一次世界大戦(1914~1918):日英同盟を理由に参戦し戦勝国に。空前の好景気

3)関東大震災(1923年・大正11年、9月1日)

大正時代(1912年~26年)の基本年表

1912年(大正元年):第一次護憲運動(尾崎行雄等)/ 中華民国成立

1914年(大正3年):サラエボ事件→第一次世界大戦(~18年)。日本参戦

1915年(大正4年):(中国に)二十一か条の要求

1916年(大正5年):吉野作造「民本主義」

1917年(大正6年):ロシア革命(露がWW1から脱退)。アメリカがWW1に参戦

1918年(大正7年):シベリア出兵→米騒動→原敬内閣成立。WW1終戦

1919年(大正8年):パリ講和会議(ヴェルサイユ条約)。三・一独立運動、五・四運動

1920年(大正9年):国際連盟(スイスのジュネーブ)

1921年(大正10年):ワシントン会議

1923年(大正12年)9月1日:関東大震災

1924年(大正13年):第二次護憲運動

1925年(大正14年):普通選挙法、治安維持法。ラジオ放送開始

 

大正時代のポイント①:大正デモクラシー

「デモクラシー(Democracy)=民主主義」

第一次護憲運動(1912年)→原敬内閣(1919年)

→第二次護憲運動(1924年)→男子普通選挙(1925年)

 

歴史は「連続」と「断絶」とその理由がポイントです。

大正時代(1912年~26年)、それ以前(明治時代)の「(薩長による)藩閥政治」

「(山県有朋を中心とした)元老政治」に嫌気が差していた民衆達が立ち上がり、

多くの民主化運動を起こしていきました。それを大正デモクラシーと言います。

民主主義=普通選挙の要求や、薩長の好き勝手な政治をやめろという事になりますね。

背景として、産業革命などで市民社会が発展していた事もあります。デモクラシー(民主化)

は、WW1前後の世界的な流れでもありました。

「大正デモクラシー」の基本的な用語等。

●第一次護憲運動(1912年)11

犬養毅(左)、尾崎行雄(右)

1912年(大正元年)、長州藩出身の桂太郎(元老・山県有朋の子分)が藩閥的な内閣を

作ると。尾崎行雄11(「憲政の神様」)等が、「閥族打破・憲政擁護」10をスローガン

に、(1889年にできた大日本帝国憲法を守ろうとする)立憲政治を主張しました。

これを第一次護憲運動と言います。「憲法を守れ」「藩閥政治やめろ」という事ですね。

中心人物は、尾崎行雄11と犬養毅11(いぬかいつよし・1932年の5.15事件で暗殺された首相)。

(第3次)桂太郎(内閣)は辞職に追い込まれます。

 

●原敬内閣(平民宰相)11(1918年~1921年)

第一次世界大戦中の1918年(大正7年)、1917年に起きたロシア革命への対応に

シベリア出兵10が行われ、商人らが買い占めたので米の値段が高騰しました。

富山県魚津の港で、怒った主婦達が米の積み出しを止めようと暴動になり、全国に

広がりました。これを「米騒動」(1918年8月)11と言います。

「米騒動」等で寺内正毅(まさたけ、長州)11内閣は辞職します。

そこに出てきたのが、「平民宰相」と言われた原敬(はらたかし)11です。

原敬(はらたかし)内閣(1918年9月~1921年11月)のポイント!

・原敬内閣は初の本格的「政党内閣」(大臣の多くが立憲政友会という政党の人)

・原敬は岩手出身の「平民宰相」:華族や公家、長州・薩摩出身ではない

・1919年ベルサイユ条約調印・1920年国際連盟加盟

原敬内閣(1918年9月~1921年11月)では、有権者の納税資格を引き下げました

が、男子普通選挙は実現しませんでした。立憲政友会の支持層は都市部のインテリ

層だったので、農民に選挙権が拡大されるのを嫌ったのでしょうか?

いずれにせよ、原敬は、政党政治の腐敗に怒った青年に東京駅で刺殺されました。

(藩閥政治でも政党政治でも腐敗は避けられない?権力は腐敗する、絶対的権力は

絶対に腐敗する、とも言いますしね)

 

第二次護憲運動(1924年)→男子普通選挙(1925年)

原敬内閣後、政党内閣ではない内閣が続きました。

1924年に再度、護憲運動が起こり(第二次護憲運動)ついに男子普通選挙が実現します。

加藤高明(たかあき)内閣の時です。1925年に成立した全く正反対の法律二つ。

●普通選挙法:満25歳以上の男子すべてが有権者(⇔制限選挙)。女性参政権はない。

●治安維持法:社会主義・共産主義を取り締まる。戦争反対も許さない。

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その他、大正時代には、「社会運動」がたくさん起こりました。

女性運動(平塚らいてう、市川房江)や被差別部落運動や労働運動などです。

また、都市部の住民が増えて、生活様式もかなり近代的になってくるの

も大正時代です。ラジオ放送の開始が1925年です。

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大正時代のポイント②:第一次世界大戦(1914~1918)

【第一次世界大戦(1914年~1918年)】:戦場はほぼヨーロッパ

原因:オーストリアの皇太子がサラエボ(現・ボスニア=ヘルツェゴビナ)でセルビア人に暗殺された

対立:(三国同盟)独・オーストリア・(伊)vs(三国協商)英・仏・露、(日、(後から)米)

結果:三国協商が勝利

戦後:1919年パリ講和会議(ヴェルサイユ条約)、1920年国際連盟

ポイント

日本は日英同盟を理由に参戦し戦勝国に

②1917年に露で社会主義革命が起こり露は脱落。同年アメリカが参戦。

③独とオーストリアに革命が起きて終戦

https://www.huffingtonpost.jp/tomoyuki-matsumura/story_b_5625556.html

第一次世界大戦(1914年~1918年)の戦場はほぼヨーロッパですが、

第二次大隈重信内閣だった日本は日英同盟(1902年~1923年)を理由に参戦します。

戦地ではなかった日本は空前の好景気に沸き、多くの「成金」が生まれました。

また、戦争中の1915年に中国に対して【21か条要求】を突きつけ、むりやり

認めさせます。

日本は天狗になっていたからか、戦後の1919年には、日本が支配していた朝鮮では

三・一独立運動が起こり、21か条の要求をつきつけた中国では五・四運動が起こり

ました。どちらも日本に対する抗議運動です。

とはいえ、戦後は国際連盟で世界の5大国(英・仏・米・日・伊)の一つとなります。

しかし、その時は、すぐ後に、戦後恐慌、関東大震災(1923年)が迫っているとは、

まだ誰も知る由もなかったのでしょう・・・。

 

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