2021年4月18日(日)実施のサピックスオープン模試の社会で、

「リーフデ号・フェートン号・モリソン号・ノルマントン号」

という選択肢の問題があり、うちの子が間違えて、さらに「紛らわしいし、

個々に説明していなかったな・・・」と思ったので、

「●●号事件+日本史」のまとめページを作りました。

どれか2つくらいをきちんと知っていれば、選択肢の問題では正解率が高くなります。

暗記法ですが、「3文字のリーフデが一番早い!」とまずは覚えて、残りは

「フ→モ→ノ!!!!」と100回位唱えれば大丈夫では?

 

リーフデ号・フェートン号・モリソン号・ノルマントン号

リーフデ号(1600年)10:豊後に漂着したオランダ船。ウィリアム・アダムズ、ヤン=ヨーステン

フェートン号事件(1808年)11:英の軍艦が長崎に侵入→異国船打払い令(1825年)11

モリソン号事件(1837年)11:米の船が異国船打払い令のため砲撃された事件→蛮社の獄(1839年)11

ノルマントン号事件(1886年)11:英の船が難破。英人全員無事、日本人死亡→条約改正の世論

 

リーフデ号(1600年)

1600年にオランダの船・リーフデ号10が豊後に漂着すると、

ウィリアム・アダムズ(三浦按針・あんじん/英国人)11とヤン・ヨーステン

(耶揚子・やようす/オランダ人)10を江戸に招いて外交・貿易顧問として

使いました。三浦按針は三浦半島に領地を与えられ、二人とも朱印船貿易に

従事し、長崎の平戸商館10設立に活躍しました。

【ポイント!江戸初期から南蛮人(ポルトガル・スペイン)→紅毛人(イギリス・オランダ)】

カトリックの南蛮人はキリスト教の布教もセットでしたが、紅毛人はプロテスタント

(イギリスは厳密には英国国教会ですが)なので、商売のみ!という事だったのでしょう。

なお、マカオ経由で中国産の生糸を持ち込み暴利をむさぼっていたポルトガル船に

対して、糸割符制度(いとわっぷせいど)8という生糸の輸入制限をしたのは1604年です。

朝鮮とは対馬藩の宗氏を通じて国交を回復し、1607年~1811年の間に

「朝鮮通信使」が12回来日しています。

「鎖国」完成前は、上記のように平和外交路線だった事もあり、日本人の

海外進出はさかんでした。

17世紀初期、ルソン(呂宋)11(現在のフィリピン)、アンナン(安南)9

(現在のベトナム)、シャム(現在のタイ)など、東南アジア各地に日本町8

が作られました。山田長政8などはシャムのアユタヤ王朝で大出世をしました。

 

フェートン号事件(1808年)

江戸後期、イギリスの軍艦「フェートン号」がオランダの船を捕獲する

ために、長崎湾内に侵入して、薪、水、食料を強奪して退去した事件です。

ヨーロッパのナポレオン戦争の影響です。

フェートン号事件の結果、1825年に「異国船打払い令」11が出されました。

長崎での貿易相手である清・蘭の船以外は、ためらうことなく撃退すると

いう内容です(無ニ念打払令10)。

 

モリソン号事件(1837年)

米の船が異国船打払い令のため、浦賀や薩摩近辺で砲撃された事件です。

モリソン号には、日本人の漂流民などが乗っており、幕府と異国船打払い令

に対する批判が集まりました。

そういった批判をした洋学者・蘭学者(高野長英、渡辺崋山)を処罰したのが

蛮社の獄(1839年)11です。

 

ノルマントン号事件(1886年)

1886年(明治19年)ですから、内閣制度が始まった翌年ですね。

横浜から神戸へ向かっていたイギリスの貨物船「ノルマントン号」

が紀伊半島沖で難破し、英国人の船員等は助かったものの、日本人

乗客25人は全員溺死したという事件です。

まあ、差別的に見捨てられたのでしょう。

領事裁判権がないので、船長は無罪となりました。

1886年のノルマントン号事件以来、国民の「条約改正」への

世論は強くなっていきました。

 

まとめ―リーフデ号・フェートン号・モリソン号・ノルマントン号

リーフデ号(1600年)10:豊後に漂着したオランダ船。ウィリアム・アダムズ、ヤン=ヨーステン

フェートン号事件(1808年)11:英の軍艦が長崎に侵入→異国船打払い令(1825年)11

モリソン号事件(1837年)11:米の船が異国船打払い令のため砲撃された事件→蛮社の獄(1839年)11

ノルマントン号事件(1886年)11:英の船が難破。英人全員無事、日本人死亡→条約改正の世論

暗記法ですが、「3文字のリーフデが一番早い!」とまずは覚えて、残りは

「フ→モ→ノ!!!!」と100回位唱えれば大丈夫では?