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昭和史①(1926~1945年8月15日まで)の概略(基本)
大正時代(1912年~26年)の概略(基本編):大正デモクラシーと第一次世界大戦(1914~1918)
明治時代の前半:1868~1877・戊辰戦争から西南戦争まで(応用編)
明治時代②中盤(1870年代~1890年):自由民権運動→国会開設の勅諭・内閣・大日本帝国憲法
いくやまいまい、おおやいか、さかさか(明治時代の総理大臣の名前:語呂合わせ)
明治時代(1868~1912):藩閥政治(薩長支配)・元老支配
大正時代(1912~1926):政党政治へ(大正デモクラシーと第一次世界大戦)
昭和前半(1926~1945):軍部政治。軍が台頭して、侵略戦争に突っ走る
●昭和の前半「戦前」は「4つの恐慌」→「軍」の暴走→満州進出→日中戦争→太平洋戦争●
昭和後半(1945~89):GHQ占領→朝鮮戦争特需→高度経済成長→石油ショック→バブル景気
昭和(1926年~1989年)は、「戦前」と「戦後」でほとんど違う国と
考えた方がいいくらい違いがあります。その「断絶」はいうまでもなく、
太平洋戦争の「敗戦」(ポツダム宣言の受諾→玉音放送1945年8月15日)です。
ですので、「戦前」と言ったら昭和の前半の軍部政治の時代と考えてください。
昭和史①(1926~1945年8月15日まで)の基本年表
(昭和○年+25=西暦:例昭和20年=1945年)
●昭和の前半「戦前」は「4つの恐慌」→「軍」の暴走→満州進出→日中戦争→太平洋戦争●
1927年(昭和2年):金融恐慌:震災恐慌(1923年に関東大震災)の流れで起こった
1929年(昭和4年):世界大恐慌11→昭和恐慌11
1931年(昭和6年):満州事変(柳条湖事件)11
1932年(昭和7年)3月:満州国建国。清朝最後の皇帝・溥儀が執政(後に皇帝)。首都・新京
5月15日:五・一五事件(軍部が犬養毅首相射殺。最後の政党内閣)
2月~9月:リットン調査団11(国際連盟が派遣した調査団。英、米、仏、独、伊)→リットン報告書
1933年(昭和8年)3月:国際連盟を脱退(松岡洋右(ようすけ)が代表)11。独も脱退。
1936年(昭和11年):二・二六事件11:陸軍若手将校によるクーデター→軍部独裁へ
1937年(昭和12年):日中戦争(盧溝橋事件)11。1945年まで続く。
1938年(昭和13年):国家総動員法11
1939年(昭和14年)5月:ノモンハン事件11。満州国・日本vsソ連(+モンゴル)
9月:第二次世界大戦勃発(ヒトラーのドイツがポーランドに侵攻)
1940(昭和15年):日独伊三国同盟11
1941年(昭和16年):12月8日ハワイの真珠湾を攻撃。【太平洋戦争:日vs米】勃発
同じ日に、マレー半島にも侵攻。
1942年(昭和17年):ミッドウェー海戦11でボロ負け。ここから負け戦
1943年(昭和18年):イタリア降伏
1945年:3月10日東京大空襲11
4月~ 沖縄戦11
5月 ドイツが降伏
7月 (米英中の名前で)ポツダム宣言を発表
8月6日 広島に原爆
8月9日 長崎に原爆
(8月14日にポツダム宣言受諾を最終決定)
8月15日にポツダム宣言受諾を天皇がラジオで放送(玉音放送):終戦
昭和史①(1926~1945年8月15日まで)の概略(基本)
(昭和○年+25=西暦:例昭和20年=1945年)
●昭和の前半「戦前」は「4つの恐慌」→「軍」の暴走→満州進出→日中戦争→太平洋戦争●
「四つの恐慌」
「大正デモクラシー」からの政党政治は、第一次大戦(1914~18)後の「4つの恐慌」(不況)
の中で衰えていき、軍部が力を持っていきます。「4つの恐慌」は
①(第一次大戦の)戦後恐慌11:1920年、輸出商品が暴落
②震災恐慌5:1923年・大正12年に関東大震災
③金融恐慌11:1927年・昭和2年。震災恐慌→銀行の取付け騒ぎ7
④世界大恐慌11→昭和恐慌11:1929年10月24日(木)NYのウォール街で株価が大暴落
です。
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1929年10月以降の世界的な大恐慌を、以下のように乗り切ろうとします。
アメリカ:ニューディール政策3(自国内で仕事や雇用を創出)意味は「巻き返し」
英、仏:ブロック経済8。植民地を使った保護貿易。
ソ連(1917年にロシア革命が起き1922年からソ連):社会主義国なので世界恐慌の影響を受けず
独、伊、日本:ファシズム9(全体主義)。反民主主義的独裁政治。
その後の第二次世界大戦(1939~45)の対立構図は上記のままとなります。
【米・英・仏・ソ連+中国vs独・伊・日】
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軍部台頭→満州事変→五・一五事件→国際連盟脱退→ニ・ニ六事件
経済がボロボロで、軍部によるファシズム(全体主義)が進む日本では、
関東軍11が柳条湖事件11を起こし満州事変11へとつながり、満州国11が建国されます。
表向き「満州国は日本が支配していません!トップは満州人・中国人です!」
とするために、清朝(1912年に滅亡)最後の皇帝(宣統帝)だった、愛新覚羅溥儀
(あいしんかくらふぎ)11を執政10として据えます(後に皇帝)。
愛新覚羅溥儀
満州国建国(1932年)の過程を国際連盟に調査され(リットン調査団)、
撤兵するように求められた日本は、国際連盟を脱退します(1933年)。
これで、国際社会から孤立した日本は、ファシズム(全体主義)=軍部独裁
の道がほぼ決定しました。
満州国建国直後には、五・一五事件(軍部が犬養毅首相射殺。最後の政党内閣)
が起き、1936年(昭和11年)には、陸軍内の勢力争いから、二・二六事件が起こ
り、高橋是清大蔵大臣らが殺されました。以後、国民総動員体制を唱える、陸軍の
統制派10と言われる人たちが日本を牛耳って行きます。
日中戦争(1937年~45)
1937年、北京郊外で起こった盧溝橋事件11を発端に日中戦争11が始まります。
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1931年柳条湖事件(りゅうじょうこ)→満州事変
1937年盧溝橋事件(ろこうきょう)→日中戦争
混乱しがちですが、「り→ろ」なので、50音順!と覚えましょう
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日中戦争は、中国東北部で始まり、南下していき泥沼化します。
ノモンハン事件(1939年)から太平洋戦争(1941~45)へ
その間、国内ではファシズム・全体主義(軍部独裁)がいっそう強まり、
国家総動員法11(1938年)が成立し、議会の承認なしで色々な事ができ
るようになりました(要するに軍部独裁)。
1939年、第二次世界大戦開戦直前には、満州国の国境を巡り、ソ連とモンゴル
と争ったノモンハン事件11が起こります。
このノモンハン事件は、軍部(関東軍)トップの無責任すぎる指揮・命令が
ひどかった象徴とされています。
1939年9月には、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発(ドイツがポーランドに
侵攻、1940年にはフランスのパリを占領します)。独vs英・仏の構図がWW2のスタート。
日本は、1940(昭和15年):日独伊三国同盟11を結びました。
日本は南進政策10を取り、仏印11(フランスの植民地だったインドシナ半島。
現在のベトナム等)に攻め込みます。
それに対して、米英中蘭による「ABCDライン(包囲網)」9という対日包囲網
がひかれました(America, Britain,China,Dutchの頭文字)。
1941年4月~11月まで、日本とアメリカは戦争回避の交渉を続けます(日米交渉11)
しかし、アメリカの国務長官、ハルからハル=ノート11(中国、仏印からの撤退、満州事変の
前の状態に戻すなどの要求)を突きつけられ、交渉は決裂。
1941年12月1日に(天皇列席の)御前会議11を開き、12月8日の対米開戦が決定されました。
(開戦時の内閣総理大臣は東条英機11で、戦後A級戦犯として絞首刑になります)
太平洋戦争(1941年~45年)
1941年(昭和16年):12月8日ハワイの真珠湾を攻撃。【太平洋戦争:日vs米】勃発
しました。なお、同じ日にマレー半島上陸11も開始しています。
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【大東亜共栄圏】と【大東亜戦争】11
日本は太平洋戦争の目的を、欧米の植民地支配からアジア地域を開放し
「大東亜共栄圏」を作る!としていました。ですので日本の軍部は、
この戦争を(太平洋戦争ではなく)「大東亜戦争」と呼びました。
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その後、半年くらいは日本は快進撃を続けます。
1942年2月までに、香港・マニラ・シンガポールを占領しますが、
1942年6月のミッドウェー海戦11で大敗し、以降は敗戦まで一直線。
1944年にサイパン陥落11によって、米軍はサイパン島から日本本土への大規模な
空襲が可能になり、B29爆撃機10が本土空襲7を行った。
米軍の空襲を避けるため、疎開11、学童疎開10が始まる。
1945年3月10日:東京大空襲11。下町中心に約10万人が死亡。
1945年4月には米軍が沖縄本島に上陸し沖縄戦11が始まりました。
5月7日にドイツが降伏(ヒトラーは自殺)
1945年7月には(ソ連は日ソ中立条約を結んでいるので)米英中の名前で
ポツダム宣言11(日本に降伏を勧告)が出されます。ポツダムは独・ベルリンの校外の地名。
日本がポツダム宣言を無視していると、
8月6日 広島に原爆
8月8日 ソ連の対日参戦11:日ソ中立条約を破棄8して、満州に侵攻→シベリア抑留8
8月9日 長崎に原爆。同じ8月9日に御前会議が開かれ、ポツダム宣言受諾が決まる
(8月10日に米・英・ソ・中に通告)
(8月14日に御前会議でポツダム宣言受諾を正式に決定・終戦)
8月15日にポツダム宣言受諾を天皇がラジオで放送(玉音放送):終戦記念日
1945年9月2日米戦艦・ミズーリ号8で降伏文書に調印7:法的に正式に敗戦。
(関連記事)
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大正時代(1912年~26年)の概略(基本編):大正デモクラシーと第一次世界大戦(1914~1918)
明治時代の前半:1868~1877・戊辰戦争から西南戦争まで(応用編)
明治時代②中盤(1870年代~1890年):自由民権運動→国会開設の勅諭・内閣・大日本帝国憲法
いくやまいまい、おおやいか、さかさか(明治時代の総理大臣の名前:語呂合わせ)