文化史(日本史)の概略・まとめ②(桃山文化・江戸の文化・明治の文化・大正と昭和前期の文化・戦後の文化・現代の文化)
明治時代の前半:1868~1877・戊辰戦争から西南戦争まで(応用編)
明治時代②中盤(1870年代~1890年):自由民権運動→国会開設の勅諭・内閣・大日本帝国憲法
明治時代③後半:日清戦争(1894~95)・日露戦争(1904・05)・日韓併合(1910)
明治の文化(文化史):思想・お雇い外国人・宗教・教育・文学 この記事
大前提!日本史は「明治以前(仏教+中国)」と「明治以後(西洋化+文明化(科学)」
大前提として、日本史は「明治以前(仏教+中国)」と「明治以後(西洋化+文明化(科学)」
に分けて考える事ができると思います。
幕末までの時代は、それこそ卑弥呼の頃から、中国を目標とした国だったといえます。
そのため、中国~朝鮮経由で来た仏教が極めて大事でした(江戸時代は儒教の朱子学)。
明治以降は、それが一気に変わり、欧米を目指し、西洋化・文明化(科学化)していきました。
「明治の文化」を学んでいく際にはそういった歴史観が大事です。
明治と言えば、西洋化・文明開化
●西洋化・文明開化:ざんぎり頭9、ガス灯11、牛鍋7、レンガ造り(銀座)11、人力車11、鉄道馬車7
●「文明開化の7つ道具」:新聞・郵便・ガス灯・蒸気船・陸蒸気・軽気球・写真絵
欧米列強に追いつき追い越せの明治時代は、近代化・西洋化が急務でしたので、
文化も一気に変わります。
ちょんまげ→ざんぎり頭9 「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」
和服→洋服(背広)、シルクハット、こうもりがさ、洋食、ビールetc.
要するに、生活・文化全般が欧米化していったという事です。
明治~大正の思想の流れ
★明治初期:啓蒙思想(欧米の思想が本格的に流入)
★明治20年代(1880~90):国家主義(国益重視)/平民主義・国粋保存主義
★明治30年代(1890~1900):国家主義・産業革命に対する疑問→社会主義の台頭
★大正時代(1912~26):大正デモクラシー(民本主義、天皇機関説)
思想:国家主義vs平民主義(徳富蘇峰)+イギリス功利主義とフランス自由主義
国家主義vs平民主義(徳富蘇峰)
欧米に追いつくために、国家が先というのが国家主義9(国権論)で、
まずは平民の欧米化が先といったのが平民主義9(徳富蘇峰が有名)。
★徳富蘇峰(とくとみそほう)11:1863~1957
同志社で学ぶ。民友社10(機関紙が「国民之友」10)を創立。
鹿鳴館外交なんて真の欧化とちゃう!平民の欧米化が大事や!平民主義や!
弟が小説家の徳富蘆花(ろか)6。
こういった欧米化の流れに対して、「日本の伝統はどうなる!」といったのが
国粋主義8です。1888年(明治21年)に、三宅雪嶺(せつれい)11等が政教社11
を作り、「日本人」10という雑誌を作ります。
啓蒙思想:イギリス功利主義とフランス自由主義
啓蒙思想6:蒙(もう)を啓(ひら)く。個人の自覚を高めるために教えてやるといったイメージ。
啓蒙思想の具体的なものとして、英功利主義と仏自由主義というものが入ってきます。
【明治時代に入ってきた欧米の啓蒙思想】
★イギリス功利主義(ミル、スペンサー、ベンサム)
明六社10「明六雑誌」8(森有礼10、福沢諭吉11、加藤弘之8→立憲改進党)
★フランス自由主義(ルソー、モンテスキュー)
中江兆民→自由党 天賦人権思想8
新聞・ジャーナリズム(雑誌)
「文明開化の7つ道具」のひとつでもある「新聞」は明治以降大事な文化となります。
・大新聞5(一面だけ)→小新聞7(今の新聞に近い)
【明治時代の主な『新聞』】
★横浜毎日新聞10:日本最初の日刊紙(1870年・明治3年)
★「日新真事誌」9:英人が創刊。1874年板垣退助等の「民撰議院設立建白書」が載った
★『万朝報』(よろずちょうほう)10:1890年・明治23年。明治最大の新聞。
(日露戦争前に、幸徳秋水等が非戦論を書いたものの、社主・黒岩涙香が主戦論に変更)
★時事新報6:1882年・明治15年、福沢諭吉が創刊。「脱亜論」
・読売新聞4:東京で創刊。小新聞の元祖
・朝日新聞2:大坂で創刊
福沢諭吉(1834~1901)
豊前中津藩士(今の大分県)。啓蒙思想家。
大坂の適塾で緒方洪庵に学ぶ。欧米を3回も視察。
・1860年咸臨丸で勝海舟等と渡米
・1868年(明治元年)慶応義塾を創設
・名六社に参加
・『時事新報』創刊→「脱亜論」で有名。
『西洋事情』7『学問のすゝめ』11『文明論之概略』7
*福沢諭吉は幕末から~明治中期の人です。
上記した点くらいで大丈夫ですが、幕末に咸臨丸でアメリカに渡っています。
また、『時事新報』という新聞を作った事、『西洋事情』や『文明論之概略』
など『学問のすゝめ』以外の著作を知っておきましょう。
【明治時代の主な雑誌】
「明六雑誌」:明六社が発行
「ホトトギス」8:高浜虚子6が主宰。正岡子規11。『吾輩は猫である』(夏目漱石)が載った
「文学界」9:北村透谷10が創刊。樋口一葉、島崎藤村の作品などを掲載。
「青鞜」:平塚雷鳥(らいてふ・らいちょう)11
「明星」7:与謝野鉄幹6・与謝野晶子11夫妻。「君死にたまふことなかれ」
「白樺」8:武者小路実篤ら白樺派の雑誌。大正時代の主流
お雇い外国人
明治時代、欧米化・文明化するために、多くの外国人教師5を高給で呼んで
科学的な教えをうけました。「お雇い外国人」(御雇外国人)8と呼ばれました。
【明治時代の主なお雇い外国人】
フェノロサ(米)11:岡倉天心11と東京美術学校11を設立
コンドル(英)9:鹿鳴館、ニコライ堂11(東京の神田)を設計
クラーク(米)5:札幌農学校(後の北大)。Boys be ambitious!「少年よ大志を抱け!」
ナウマン(独)4:フォッサ=マグナを指摘。ナウマン象の名前の由来
モース(米)6:大森貝塚。ダーウィンの進化論を教える
ブリューナ(仏)2:富岡製糸場で指導。フランスの技術だった事が大事
明治時代の宗教:神仏分離令→廃仏毀釈
【明治時代の宗教:神仏分離令(1868年・明治元年)→廃仏毀釈】
1868年(明治元年):神仏分離令11
1870年(明治3年):大教宣布の詔(たいきょうせんぷのみことのり)9(神道国教化8への流れ)
1873年(明治6年):祝祭日9→紀元節10(2月11日)、天長節(天皇誕生日)9
幕末から、明治維新期には、天皇を敬い、外国を排除するという、
「尊皇攘夷」という流れがありましたね?そのため、維新の志士たちに、
「復古神道」が非常に支持されます。
そして、明治時代には、神道国教化運動が起こります(国教化はされてません)。
では、明治時代に仏教はどうなった?
明治時代は、「近代国家」を作るために、ナショナリズムを利用しました
ので、「日本=神の国=神道国家」を目指しました。
ですので、仏教は、最初は排斥されます。神仏分離令8、廃仏毀釈
(はいぶつきしゃく)8といって、お寺や仏教が排斥されました。
明治時代の頃には、『古事記』はいわばキリスト教徒にとっての新約聖書の
ように、歴史の事実として教えられていました。
ただ、あまりにも「神仏習合」の時間が長かったためか、あるいは神道国教化
がうまくいかなかったためか、完全には仏教は排斥されず、地道に残って
いく事になりました。
キリスト教はというと、五傍の掲示(1868年)11で禁止されましたが、
浦上信徒弾圧事件8が長崎で起こり、欧米から圧力がかけられ、五傍の掲示
からキリスト教禁止部分が削除されました(1873年・キリシタン禁制高札廃止10)
その結果、プロテスタントを中心に、布教が始まり、多くのキリスト教徒がうまれ
てきます。
明治時代の教育:学制(1872年)→教育勅語(1890年)
【明治時代の教育の流れ】
1871年(明治4年):文部省10設置
1872年(明治5年):学制11(フランス風・実学主義・国民皆学)
1877年(明治10年):東京大学9(東京開成学校+東京医学校)→1886年に東京帝国大学
1879年(明治12年):教育令10(アメリカ式学制・自由教育制度)→失敗
1886年(明治19年):学校令10(森有礼。小学校令、中学校令、師範学校令、帝国大学令)
1890年(明治23年):教育勅語11
学制に始まる義務教育制9は以下です。
・1872年の学制:義務教育の方針が出る
・1879年の教育令:期限16ヶ月
・1886年の学校令:3~4年
(戦後の1947年に教育基本法で現在の9年になる)
また、1886年の学校令から国定教科書制度10が始まる。
【明治にできた「私立大学」】
慶応義塾(慶応大学)11:1868年、福沢諭吉
同志社8or同志社英学校(同志社大学):1875年、新島襄10が京都で
学習院2(学習院大学):1877年。京都の公家の学校だった。
専修学校1(専修大学):1880年。
東京法学社2(法政大学):1880年。西園寺公望、ボアソナードらが尽力。
明治法律学校3(明治大学):1881年。
東京専門学校10(早稲田大学):1882年。大隈重信。明治14年の政変で追われた後設立。在野の精神。
英吉利法律学校2(中央大学):1885年。
女子英学塾8(津田塾大学):1900年。津田梅子11
明治時代の自然科学研究者
【明治時代の自然科学研究者】
北里柴三郎8:独でコッホに細菌学を学ぶ。破傷風、ペスト菌。伝染病研究所。2024年から千円札
志賀潔7:赤痢菌7。
高峰譲吉8:アドレナリン7の発見。タカジアスターゼ7を創製。米で活躍
鈴木梅太郎7:脚気(かっけ)に予防に有効なオリザニン(ビタミンB1)を抽出。
木村栄(ひさし)8:物理学者。Z項8(地球の自転軸の話…)を発見
長岡半太郎7:原子構造の研究7
北里柴三郎
明治時代の人文科学研究者
【明治時代の人文科学研究者】
西周(にしあまね)9:啓蒙思想家で西洋哲学を日本に紹介。明六社に参加
加藤弘之8:啓蒙思想家。東大初代総理→東京帝国大学総長
久米邦武9:岩倉使節団についていき『米欧回覧実記』を編集。「神道は祭天の古俗」7
明治時代の文学
言文一致体10:話し言葉に近い文章にする(それまで文語体(文章用の言葉))
坪内逍遥(しょうよう)11、二葉亭四迷11、山田美妙7、尾崎紅葉10
★写実主義→ロマン主義→自然主義→反自然主義(余裕派)★
【写実主義10:明治20年前後。現実・心情をあるがままに描く。近代文学の出発】
★坪内逍遥(1859~1935):言文一致。「早稲田文学」創刊。「小説神髄」11「当世書生気質」2
★二葉亭四迷(1864~1909):言文一致。露文学の翻訳。「浮雲」11(近代小説の祖とされる)
山田美妙(1868~1910):言文一致。「夏木立」4
★尾崎紅葉(1867~1903):言文一致。硯友社(けんゆうしゃ)8設立。「金色夜叉」(こんじきやしゃ)7
【理想主義】
★幸田露伴9(1867~1947):『五重塔』8。「突貫紀行」もええで!「紅露時代」と言われた。
【ロマン主義11:感情・恋愛・自我(個性)/江戸的な封建制からの開放!】日清~日露頃
★樋口一葉(1872~96)10:「たけくらべ」8「ひごりえ」4。「文学界」に発表
北村透谷(とうこく・1868~94)10:「文学界」9を創刊。27歳で自殺。
★島崎藤村(1872~1943)11:「文学界」創刊に参加。「若菜集」10「破戒」「夜明け前」
(島崎藤村はロマン主義→自然主義)
★与謝野鉄幹6・与謝野晶子11。「君死にたまふことなかれ」「みだれ髪」。雑誌「明星」
*森鴎外は「舞姫」8はロマン主義的とされています
【自然主義10:「小説家の赤裸々な(恥ずかしい)日常をありのままにさらけ出す私小説」】
島崎藤村の『破戒』と田山花袋(かたい)9の『布団』7が自然主義文学の代表
国木田独歩(1871~1908)7:「武蔵野」5「牛肉と馬鈴薯」3
【反自然主義(余裕派・知性派)】
★夏目漱石(1867~1916):東京帝大で英文学を学ぶ。松山中学、熊本の五高
で教える。ロンドンに留学。東京帝大講師をやめて朝日新聞社員として小説家
となる。明治人の象徴の一人(近代と前近代のはざまでいきた)。
正岡子規、高浜虚子とは友人。弟子が多数いた。
●「吾輩は猫である」7:雑誌「ホトトギス」に連載。
●「坊っちゃん」「草枕」「それから」「こころ」「門」etc.
★森鷗外11(1862~1922):島根の生まれ。東京帝大医学部卒。
軍医総監。ドイツに留学(「舞姫」事件)。小説、翻訳、評論。
●「舞姫」「即興詩人」(アンデルセンの原作を翻訳)
「阿部一族」「渋江抽斎」(ちゅうさい)「高瀬舟」
■森鷗外の墓は、出身地である、島根県津和野と東京都三鷹市の
禅林寺にあります。禅林寺には太宰治の墓もあります。
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石川啄木(1886~1912)9:岩手県出身。貧困の天才詩人。
「一握の砂」(いちあくのすな)6「悲しき玩具」3
*啄木は生活に困り、社会主義に近づいて行ったので、自然主義に分類される事も
正岡子規11(1867~1902):俳人。松山生まれ。漱石の友人。
「ホトトギス」で活躍し、俳句革新運動11を起こす。
「柿くえば 鐘がなるなり 法隆寺」
「いくたびも 雪の深さを 尋ねけり」
高浜虚子(1874~1959)6:俳人。「ホトトギス」を主宰。
坪内逍遥 二葉亭四迷 尾崎紅葉
文化史(日本史)の概略・まとめ②(桃山文化・江戸の文化・明治の文化・大正と昭和前期の文化・戦後の文化・現代の文化)
明治時代の前半:1868~1877・戊辰戦争から西南戦争まで(応用編)
明治時代②中盤(1870年代~1890年):自由民権運動→国会開設の勅諭・内閣・大日本帝国憲法
明治時代③後半:日清戦争(1894~95)・日露戦争(1904・05)・日韓併合(1910)