明治時代の前半:1868~1877・戊辰戦争から西南戦争まで(応用編)
明治時代②中盤(1870年代~1890年):自由民権運動→国会開設の勅諭・内閣・大日本帝国憲法
明治時代③後半:日清戦争(1894~95)・日露戦争(1904・05)・日韓併合(1910)
いくやまいまい、おおやいか、さかさか(明治時代の総理大臣の名前:語呂合わせ)
この記事は「応用編」ですので、必ず先に「基本編」(下記)を読んでください。
大正時代(1912年~26年)の概略(基本編):大正デモクラシーと第一次世界大戦(1914~1918)
大正時代(1912年・大正元年~1926年・大正15年)の基本と流れ
(西暦マイナス11年=大正○年or大正○年+11=西暦)
●大正時代は15年間と短い
●ポイントは2点:「大正デモクラシー」と「第一次世界大戦」
1)大正デモクラシー:第一次護憲運動、政党政治、原敬内閣(平民宰相)、男子普通選挙(1925年)
2)第一次世界大戦(1914~1918):日英同盟を理由に参戦し戦勝国に。空前の好景気
3)関東大震災(1923年・大正12年、9月1日)
★【大正時代の首相の語呂合わせ:やおてはたかやき(か)】★
「や」山本権兵衛11:薩摩。2回首相。軍部大臣現役武官制改正10、ジーメンス事件10で辞任
「お」大隈重信(2次):1914~16。第一次世界大戦に参戦+(中国に)二十一カ条の要求11
「て」寺内正毅:1916~18。長州。朝鮮総督。シベリア出兵→米騒動で辞任
「は」原敬:1918~21。「平民宰相」。政党内閣。ヴェルサイユ条約、国際連盟。積極政策。選挙法改正
「た」高橋是清:1921~22。ワシントン会議
「か」加藤友三郎:1922~23。関東大震災。
「や」(第2次)山本権兵衛:関東大震災処理。虎の門事件8で辞職
「き」清浦奎吾(けいご):1924。超然内閣(貴族院中心)→第二次護憲運動
(「か」加藤高明11:1924~26。普通選挙法)
いくやまいまい、おおやいか、さかさか(明治時代の総理大臣の名前:語呂合わせ)
大正時代(1912年~26年)の基本年表
1912年(大正元年):第一次護憲運動(尾崎行雄等)/ 中華民国成立
1914年(大正3年):ジーメンス事件で山本権兵衛内閣総辞職→第二次大隈重信内閣
サラエボ事件→第一次世界大戦(~18年)。日本参戦
1915年(大正4年):(中国の袁世凱政府に)二十一カ条の要求
1916年(大正5年):吉野作造「民本主義」(総合雑誌の『中央公論』)
1917年(大正6年):ロシア革命(露がWW1から脱退)。アメリカがWW1に参戦
1918年(大正7年):シベリア出兵→米騒動→原敬内閣成立。WW1終戦
1919年(大正8年):パリ講和会議(ヴェルサイユ条約)。三・一独立運動、五・四運動
1920年(大正9年):国際連盟(スイスのジュネーブ)
1921年(大正10年):ワシントン会議(四カ国条約→日英同盟廃棄)
1923年(大正12年)9月1日:関東大震災
1924年(大正13年):第二次護憲運動
1925年(大正14年):普通選挙法、治安維持法。ラジオ放送開始
大正時代のポイント①:大正デモクラシー
「デモクラシー(Democracy)=民主主義」
第一次護憲運動(1912年)→原敬内閣(1919年)
→第二次護憲運動(1924年)→男子普通選挙(1925年)
歴史は「連続」と「断絶」とその理由がポイントです。
大正時代(1912年~26年)、それ以前(明治時代)の「(薩長による)藩閥政治」
「(山県有朋を中心とした)元老政治」に嫌気が差していた民衆達が立ち上がり、
多くの民主化運動を起こしていきました。その一連の流れを大正デモクラシーと
言います。民主主義=普通選挙の要求や、薩長の好き勝手な政治をやめろという
事になりますね。背景として、産業革命などで市民社会が発展していた事もあり
ます。デモクラシー(民主化)は、WW1前後の世界的な流れでもありました。
「大正デモクラシー」の基本的な用語等。
●第一次護憲運動(1912年)11
犬養毅(左)、尾崎行雄(右)
1912年(大正元年)、長州藩出身の桂太郎(元老・山県有朋の子分)が藩閥的な内閣を
作ると。尾崎行雄11(「憲政の神様」)等が、「閥族打破・憲政擁護」10をスローガン
に、(1889年にできた大日本帝国憲法を守ろうとする)立憲政治を主張しました。
これを第一次護憲運動と言います。「憲法を守れ」「藩閥政治やめろ」という事ですね。
中心人物は、尾崎行雄11と犬養毅11(いぬかいつよし・1932年の5.15事件で暗殺された首相)。
(第3次)桂太郎(内閣)は辞職に追い込まれます。
その後、
●第一次山本権兵衛内閣:薩摩。軍部大臣現役武官制改正10、ジーメンス事件10で辞任
●大隈重信(2次):1914~16。第一次世界大戦に参戦+(中国に)二十一カ条の要求
●寺内正毅:1916~18。長州。朝鮮総督。シベリア出兵→米騒動で辞任
と続きますが、寺内内閣は典型的な藩閥政治だった事もあり、ついに本格的な政党内閣ができます。
●原敬内閣(平民宰相・立憲政友会)11(1918年~1921年)
第一次世界大戦中の1918年(大正7年)、1917年に起きたロシア革命への対応に
シベリア出兵10が行われ、商人らが買い占めたので米の値段が高騰しました。
富山県魚津の港で、怒った主婦達が米の積み出しを止めようと暴動になり、全国に
広がりました。これを「米騒動」(1918年8月)11と言います。
「米騒動」等で寺内正毅(まさたけ、長州)11内閣は辞職します。
そこに出てきたのが、「平民宰相」と言われた原敬(はらたかし)11です。
原敬(はらたかし)内閣(1918年9月~1921年11月)のポイント!
・原敬内閣は初の本格的「政党内閣」(大臣の多くが立憲政友会という政党の人)
・原敬は岩手出身の「平民宰相」:華族や公家、長州・薩摩出身ではない
・1919年ベルサイユ条約調印・1920年国際連盟加盟
原敬内閣(1918年9月~1921年11月)では、有権者の納税資格を引き下げました
が、男子普通選挙は実現しませんでした。立憲政友会の支持層は都市部のインテリ
層だったので、農民に選挙権が拡大されるのを嫌ったのでしょうか?
いずれにせよ、原敬は、政党政治の腐敗に怒った青年に東京駅で刺殺されました。
(藩閥政治でも政党政治でも腐敗は避けられない?権力は腐敗する、絶対的権力は
絶対に腐敗する、とも言いますしね)
第二次護憲運動(1924年)→男子普通選挙(1925年)
原敬内閣後、政党内閣ではない内閣が続きました。
1924年に再度、護憲運動が起こり(第二次護憲運動)ついに男子普通選挙が実現します。
加藤高明(たかあき)内閣の時です。1925年に成立した全く正反対の法律二つ。
●普通選挙法:満25歳以上の男子すべてが有権者(⇔制限選挙)。女性参政権はない。
●治安維持法:社会主義・共産主義を取り締まる。戦争反対も許さない。
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その他、大正時代には、「社会運動」がたくさん起こりました。
女性運動(平塚らいてう、市川房江)や被差別部落運動や労働運動などです。
また、都市部の住民が増えて、生活様式もかなり近代的になってくるの
も大正時代です。ラジオ放送の開始が1925年です。
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大正時代のポイント②:第一次世界大戦(1914~1918)
【第一次世界大戦(1914年~1918年)】:戦場はほぼヨーロッパ
原因:オーストリアの皇太子がサラエボ(現・ボスニア=ヘルツェゴビナ)でセルビア人に暗殺された
対立:(三国同盟)独・オーストリア・(伊)vs(三国協商)英・仏・露、(日、(後から)米)
結果:三国協商が勝利
戦後:1919年パリ講和会議(ヴェルサイユ条約)、1920年国際連盟
ポイント
①日本は日英同盟を理由に参戦し戦勝国に:成金11が多数生まれた
②1917年に露で社会主義革命が起こり露は脱落。同年アメリカが参戦。
③独とオーストリアに革命が起きて終戦
https://www.huffingtonpost.jp/tomoyuki-matsumura/story_b_5625556.html
第一次世界大戦(1914年~1918年)の戦場はほぼヨーロッパですが、
第二次大隈重信内閣だった日本は日英同盟(1902年~1923年)を理由に参戦します。
戦地ではなかった日本は空前の好景気に沸き、多くの「成金」11が生まれました。
また、戦争中の1915年に中国の袁世凱政府に対して【二十一カ条の要求】を突きつけ、
(ほとんどを)むりやり認めさせます。
1)(山東省の)ドイツの権益をよこせ!
2)鉄道敷設権をよこせ!
その他諸々。中国では、二十一か条を受け入れた5月9日を国恥記念日(こくち・9)
と呼んでいます。
日本は天狗になっていたからか、戦後の1919年には、日本が支配していた朝鮮では
三・一独立運動が起こり、21か条の要求をつきつけた中国では五・四運動が起こり
ました。どちらも日本に対する抗議運動です。
とはいえ、戦後は国際連盟で世界の5大国(英・仏・米・日・伊)の一つとなります。
しかし、その時は、すぐ後に、戦後恐慌、関東大震災(1923年)が迫っているとは、
まだ誰も知る由もなかったのでしょう・・・。
関東大震災(1923年・大正12年9月1日)
関東大震災(1923年・大正12年9月1日)は、歴史上大きな区切りとなりますので、
年号と日付まできちんと覚えておきましょう。
マグニチュード7.9、(最大)震度7。震災恐慌と金融恐慌へとつながる。
大正時代(1912年~26年)の概略(基本編):大正デモクラシーと第一次世界大戦(1914~1918)
昭和史①(1926~1945年8月15日まで)の概略(基本)